《8月15日には米軍の最後の空襲もあったのに…》日本の終戦記念日は、なぜ8月15日になったのか 戦後80年が経ったからこそできる「慰霊」を考える

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その後、1982年に鈴木善幸内閣が8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定し、現在のいわゆる「8月15日の終戦記念日」が定められました。

戦争から時間が経ったからこそ、できる「慰霊」がある

このように日本の「終戦記念日」が定められた歴史を見る中で、2つ見えてくることがあります。

1つは、「降伏」「敗戦」を「終戦」とすることで、独立した後に新しい日本をつくろうとしたことです。そしてもう1つは、戦争から時間が経過する中で、戦争を客観視できるようになったことです。

前者については、政府の政策としては理解できます。しかし戦争に敗北し、その悲惨な戦争によって多くの人が犠牲になったという事実と、そこに至った要因について国家は8月15日を過ぎても考え続ける必要があります。「全国戦没者追悼式」の「セレモニー」をすることが目的になってはいけません。

後者の戦争の客観視については、戦争における加害・被害を考えることにつながります。

戦争を経験した多くの人々は、思い出したくもない悲惨な状況を目の当たりにしています。餓死した多くの兵士、空襲により家族を失った人、日本の植民地支配によって辛苦をなめた人々……。

どの人も自分の命をかけて生き抜き、そして生きたくても生きられなかった多くの家族・友人がいました。それらのことを思い出すとき、自国や自分たちの選択を冷静に判断することは容易ではありません。

しかし、経験していない私たちだからこそ、客観的にふりかえり、学ぶことができるはずです。

「戦争を経験していない世代が増えた」という言葉が否定的な意味で使われてしまうと、その答えは「戦争をしなければ怖さがわからない」になってしまいます。

そうではなく、この先も「戦争を経験していない世代」を増やしていくことが、大切なことでしょう。戦争は、ある日突然に始まるわけではありません。

そのために、「終戦記念日」をセレモニーや8月の風物詩にするのではなく、一人ひとりに何ができるのか、どのような情勢で多くの命が奪われてしまったのか、それらを真剣に考えていくこと。

それが私たちに課せられた「慰霊」だと思うのです。

馬場 晴美 市川中学校・市川高等学校教諭(世界史)

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ばば・はるみ / Harumi Baba

市川中学校・市川高等学校教諭。1983年、東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。大学において近現代フランス史およびイスラーム史を専攻し、「フランスにおけるライシテ」について研究した。

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