《8月15日には米軍の最後の空襲もあったのに…》日本の終戦記念日は、なぜ8月15日になったのか 戦後80年が経ったからこそできる「慰霊」を考える
もちろん慰霊や戦争をふりかえることの本質は、日付の問題ではありません。この記事の趣旨も8月15日を変えたいというものではありません。
しかし戦後80年を迎え、直接経験した人が少なくなった今だからこそ、これからも「戦後」を積み重ねていくために必要な「慰霊」について、この8月15日を機に考えたいと思います。
各国における対日戦勝記念日
はじめに、第2次世界大戦をめぐる各国の終戦記念日(戦勝記念日)をみていきましょう。
アメリカのトルーマン大統領は、1945年9月2日に「VJ(Victory Japan)デイ」の宣言を出し、現在でも一部の州を除いてアメリカではVJデイが9月2日に定められています。
この日、アメリカの戦艦ミズーリ号で日本政府は降伏文書に調印をし、戦争が終結しました。そしてこのミズーリ号での調印式は戦争終結の場でもあり、アメリカにとってある意味「セレモニー」の場でもありました。
ミズーリ号にはこの日、アメリカの国旗のみが掲げられていましたが、それは星の数が48個(1945年当時の星条旗)と31個(1853年にペリーが来航した当時の星条旗)の2種類の国旗でした。
つまり、アメリカは「2度目の開国」というメッセージを込めてこの調印式にのぞんだのでした。
そしてそのミズーリ号は1992年に退役し、日本の真珠湾攻撃で沈んだままの戦艦アリゾナ(アリゾナ記念館)と並んで保存されています。
では、他の連合国はどうでしょうか。
ソ連と中国はいずれも9月3日を戦勝記念日としています。ソ連のスターリンは9月2日に日本が降伏文書に調印したことを発表したうえで、翌9月3日を「対日戦争記念日」とすることを布告しました。
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