「熊を殺すな!」「可哀想だ!」…北海道でヒグマによる事件が発生→駆除もクレーム殺到。安全圏の遠方からクレームを入れる人々の心理とは?

✎ 1〜 ✎ 57 ✎ 58 ✎ 59 ✎ 60
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

とはいえ、その頃のサルは現在にような「害獣」とは認識されていなかった。名古屋大学環境学研究科教授の丸山康司は、サルが伝承で神格化されていたといった文化的な位置付けや、霊力があるとされて薬用資源として利用されるなど、多様な関係性ありきの共存であったことを理由に挙げている(以上、関礼子・中澤秀雄・丸山康司・田中求『環境の社会学』有斐閣)。

「手付かずの自然」という言葉があるが、とりわけ近代化以降、もはや「手付かずの自然」はどこにも存在しない。地域ごとの生態系のバランスを保つために人が介入しなければならなくなっているのが現状だ。しかも、とりわけ地域住民の生命が懸かっている場合は介入を避けられない。

「理想化された自然」観が都市と地方の対立を生む

けれども、まるでエデンの園のような「理想化された自然」観が世間に浸透しているのもまた事実だ。ここにはおそらく都市と地方の根深い二項対立が入り込んでいる。

先のエピソードの女性は都市部に住んでいることを隠さなかった。同様のクレームの大半がその地域と何ら接点を持っていないのだ。

都市において野生動物を殺すことは「野蛮」であるという感覚的なものも当然あるが、昨今のエコロジーと持続可能性を重視する風潮も大いに影響している。いわば生命全体を平等に取り扱おうとするディープエコロジーに近い立場である。

ディープエコロジーは、1973年にノルウェーの哲学者アルネ・ネスが提唱した概念だ。すべての生命は人間と同等の価値を持っており、人間が勝手に侵してはならない「生命圏平等主義」(biospherical egalitarianism)という理念を掲げている。

ただし、ネスは、人間が生きるために必要な動物の殺生などは否定していない(アルネ・ネス『ディープ・エコロジーとは何か』斎藤直輔・開龍美訳、文化書房博文社)。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事