ハーバード大学の学寮がここまで称賛される理由 日本人が知らない米リベラルアーツ教育の本質とは何か
堀内:大変よく分かりました。そうすると、日本の教育を変えると言うとおこがましいのかもしれませんですが、日本で学ぶ者はどうしたらよいのでしょうか。いまのお話をうかがうと、海外の大学へ行ったほうがよいという話になってしまいそうです。
小林:日本の教育には素晴らしい部分が多く、例えば、中等教育の質は高く、数学や化学などの指導法も結果を出している。授業内の教科学習に関しては、世界的にも高いレベルにあると思います。ですので、悲観する必要は全くなくて、あくまで少し足りてない部分を足していけばよいのです。
日米の教育における一番の差異
何が足りていないかというと、前述の通り、批判的な思考や、他者との議論の練習量だと思います。例えば生徒に対して、教科書の前提を疑ってみる、あるいはこれが正しいと仮定しないと何が起こるのかといったように、思考を鍛えるような問いかけを行い、みなで議論するような教育が体系的に行われていません。結果的に、自分と異なる人とどう意見を戦わせて、協力するのかわからない。そこが一番、差になっている部分だと感じます。
これこそ授業の外、日常生活の中で行われなければならないリベラルアーツ教育なのではないかと思うのです。アメリカでは、ビジネスのシーンでも、食事やコーヒーを片手にした友人同士の会話でも、「大統領選についてどう思うか」「パレスチナの問題についてどう思うか」といった話がポンポン出てくる。学部時代に習慣化するからこそ、自分の考えを整理して主張することが自然と意識されて、日々ニュースや新聞などに向き合うことになる。日常に学びの機会が広がるのです。
日本では、そのような思考のトレーニングが行われないまま、社会に出るといきなり部門間協働や官民連携を求められ戸惑う人も多いかと思います。思考の共有や議論を積極的に行う文化や空気感のようなものを、高校や大学の段階から、授業だけでなく、友人との会話や生活の中で作っていけるのか。これが日本に求められるものだと思っています。
私がいま取り組んでいるシモキタカレッジでは、共同生活を通じた心理的安全性と、物理的に過ごす時間の長さを活かして、こうした文化を醸成することを意識しています。別にアメリカへ行かなくてもよい。同じ日本人同士で言語が日本語だってよいのです。身近な違いを意識して、問題意識を共有し議論を深める習慣をつけることができれば、日本でもリベラルアーツ教育の本質的な学びを得ることができると思っています。