ハーバード大学の学寮がここまで称賛される理由 日本人が知らない米リベラルアーツ教育の本質とは何か
例えば、少し前に日本でも白熱教室としてブームになったマイケル・サンデルの「正義論」の講義がありましたね。日本で言うところの一般教養科目ですが、著名な思想家や哲学者の知識をメインで教えていたわけではありません。この講義の核心は、倫理的な問いという人生の中で誰しもが直面する問題を取り扱い、あなた自身はどう考え、どう答えを導き出すかという「思考のツールボックス」を学ぶことにありました。
堀内:確かに、NHKで放映されていた講義の映像を観ると、サンデルが常に学生たちに問いかけをし、学生たちが自分の意見を述べ、それについて議論しているといった感じで、日本の大学の大教室で行われている講義とはまったく異なるものでした。
多くの議論が「寮」で行われる
小林:知識の取得は前提ですが、あくまで材料に過ぎず、実は議論の大部分は授業外の時間に寮で行われているのです。もう一つ、例を挙げます。「比較政治学」というニッチな分野にもかかわらず最も人気の一般教養科目がありました。
初回の授業で教授はこう語りました。「これから1学期間、毎週5〜10本の優れた政治学の論文を読んでもらいます。最初は、第一線の研究者が書いた名著に対して、自分の意見を述べるなどおこがましく感じるかもしれません。しかし、自分なりの仮説を立て、構造的に批判し、議論に付加価値をもたらせない限り、社会に貢献できません。この授業では、その訓練をしていきます」
こうして学生たちは、知の巨人を前に臆することなく、自分なりの視点で価値与えることに挑戦しようと努力するのです。こうした教育の姿勢は、授業を越えて一貫していると感じました。
ですので、堀内さんからいただいた質問についての回答を整理すると、アメリカのリベラルアーツ教育とは、単に横断的な知識の吸収にとどまらず、「多様な他者や異なる意見とどう向き合い、相手に学びを与えながら、自らも成長する」という方法論を、実践しながら身につける総合的な教育だと言えると思います。
学部の垣根を越えて授業を受けるのはその一つの手段に過ぎません。真に重要なのは、価値観や背景の異なる人々と意見を交わし、思考を深め合える練習と、それを可能にする環境です。だからこそ、カレッジでの共同生活を核とした、学生体験全体の設計が重要なのです。