ハーバード大学の学寮がここまで称賛される理由 日本人が知らない米リベラルアーツ教育の本質とは何か
たとえば、異なる分野を学ぶ学生同士が食堂で偶然隣り合い、自然と始まる対話の中で興味の幅が広がる。あるいは、クラスメイトの起業の挑戦に刺激を受け、自らも新たな一歩を踏み出す――寮生活の経験の有無にかかわらず、こうした偶発的な出会いが、人生に深い影響を与えることを経験した方も多いと思います。
「人は、最も多くの時間を共にする5人の平均である」という言葉があります。リベラルアーツ教育の本質は、このような偶発的な出会いや気づきを、教育環境として設計することにあります。そして、それを強力に支える装置が、ハーバードではハウス、イギリスではカレッジと呼ばれる学寮なのです。この仕組みこそが、リベラルアーツ教育の肝であり、日本の大学との最も大きな違いであると思います。
日本の教養教育は知識偏重
堀内:そもそも「教養」と「リベラルアーツ」が同一のものなのかという根本的な問題があって、私も日本の大学における教養教育については、教養という言葉が米英のそれとは違った意味で使われていると感じています。
私自身の経験で言えば、東京大学の文科一類に入学し1、2年時に駒場の教養課程で学んだことは、要は専門課程に進む前の入門編という感じでした。3、4年になって本郷の専門課程で法学部に進学してからは、難易度も上がっているのでみな必死になって勉強しましたが、駒場では大学が用意した必修プログラムに沿って学ぶ感じがあって、小林さんからお話しいただいたアメリカのリベラルアーツ教育と、日本の教養教育はだいぶ違うという印象です。
小林:そうですね。日本で教養と言ったときに、そこで主題となっているのは知識や学問の幅そのものなのかもしれません。大学の講義で様々な分野に触れること、たとえば、政治学を専攻する学生が芸術や生物学、コンピュータサイエンスを学ぶことは確かに重要です。これは、一般教養(General Education)と呼ばれ、確かにリベラルアーツのカリキュラムに組み込まれていますが、あくまで一要素です。
一方、リベラルアーツ教育は、そうした知識を前提としながら、未知の世界や問いに対して、どう批判的に思考するのかという方法論や作法を身につけることが目的の上位概念です。日本ではアーツという言葉が「スキル・技術」の意でなく「芸術(ファインアーツ)」を意味するものと誤解されることが多いですね。アメリカでも最近この勘違いを避けるため、あえて「リベラルアーツ&サイエンス」と呼ばれることが増えてきました。