「終バスは10時」「タクシーは1時間待ち」…当初は鉄道がなく“通勤地獄”だった「多摩ニュータウン」を≪アナログ写真≫とともに振り返る

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(1970年8月1日、豊永邦男撮影)

一方で、その70年代はじめ、茅葺きの民家の残る多摩地区の農村では、ニュータウン造成の土木工事が行われていた。当時の多摩地区は、米や野菜、養鶏・養豚、炭焼きなどの兼業農家が多かったが、70年代になると、ゴルフ場や団地用地などに山林を売る農家も増えてきていた。

中には開発に反対し、立ち退きを拒む農家もあったが、1968年の終わりには耕作は停止され、ニュータウンの本格的な開発工事が始まった。

当初は鉄道がなかった

多摩ニュータウンで最初に開発、入居が始まった諏訪・永山地区には、1971年の入居開始当時は鉄道がまだ開通していなかった。

小田急多摩線が、新百合ヶ丘駅から小田急永山駅まで開通したのは1974年。小田急多摩センター駅は約1年遅れての1975年に開業した。

京王相模原線は1971年に調布駅から京王よみうりランド駅までは開通していたが、その後、京王多摩センター駅まで延伸したのは、1974年10月。

【2025年7月11日12時05分追記】初出時、鉄道の開業年の情報に誤りがありましたので、表記の通り訂正しました。

この小田急と京王の2路線は、永山駅という多摩ニュータウンの第1次入居地、そして多摩センター駅という多摩ニュータウンの中心商業地の2駅の間を並行して走り、各駅でも競合している。

現在は京王永山駅から新宿駅までは特急で30分程度。小田急永山駅から新宿駅はそれより少し長く、40分程度を要する。

(2000年8月29日、大隅智洋撮影)
(2000年5月6日、吉野純治撮影)

多摩ニュータウンの中心地区である「多摩センター」には、1987年に多摩市立の文化施設であるギリシャのパルテノン神殿のような姿の「パルテノン多摩」がオープン。1990年にはサンリオキャラクターのテーマパークである「サンリオピューロランド」が開園。

2000年には多摩都市モノレールの多摩センター駅が開業して、JR中央線などの立川駅とも連絡するようになり、名実ともに多摩地区の中心地となっている。

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