2014年、巷ではアイドル戦国時代と呼ばれ秋葉原などを中心に数多くのライブアイドルが群雄割拠している、鹿目が飛び込んだのはそんな時代のステージだった。
だが、鹿目は早くも「厳しい現実」を目の当たりにすることになる。動画で見たあの輝く光景とは程遠い、地下アイドルのリアルな現場だった。
人気のあるアイドルとそうでないアイドルの差は歴然。時にフロアにいる客の数よりもステージ上のアイドルのほうが多い、そんな皮肉な現場も少なくなかった。
夢見たアイドルのステージからの景色は思い描いていたものとはあまりにかけ離れており、鹿目はショックを受けることとなる。
「お客さんが少ないなんていうのはよくありました。なかでも当時、印象的だったのは新木場コースト(STUDIO COAST・2022年に閉館)であったイベントですね。
すごく大きな会場でライブができるって思い込んでいて、車で送ってくれていたお父さんに『私、ここでライブするんだよ』って喜んで伝えたんです。
そうしたら、実際はいくつかステージがあるうちの小さなステージで、前にいるお客さんは3人だったんです。結局、お客さんの誰とも目を合わすことなく20分のステージを終えて。
お父さんにも自慢げに言っていたのになんか気まずかったというか、自分が思っていた世界じゃないんだっていう気持ちはありました」

とにかく必死だった地下アイドルとしての毎日
動画で見たあのステージとは程遠い、ライブアイドルの世界。そこが鹿目のスタート地点だった。それでもアイドルになった限りは、いまやれることをがんばるしかない。とにかく毎日が必死だった。
実際、筆者も当時、ベースボールガールズがよくライブを行っていた秋葉原のライブハウスのモエファーレやイベントスペースのアキドラなどの会場で、元気よくヲタクに声をかけ、自己紹介している鹿目を何度も目にしている。
「最初はお客さんとの距離の近さに驚きましたが、すぐに受け入れられましたね。初めて会ったのに、もうこんなに応援してくれるんだっていう。アイドルとファンというよりも、人間としてすごいなって思ってすごくリスペクトを覚えました」
この頃から、鹿目はファンのことを“人”としてよく見ていた。この観察眼こそが、後に“ヲタク”を描くイラストレーター「ぺろりん先生」となるのに大いに活きてくる。
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