「私の仲間5人も自ら命を絶った」 元起業家が語る「成功の罠」 日本の起業家が直面する「死のリスク」と「セーフティネットの欠如」

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カリフォルニアに作った法人がビジネス的にはほとんど成果を挙げないまま、資金繰りに苦慮していた頃、この会社の事業を経済的に支える法人を東京に作る話が持ち上がり、私はその代表になった。

5億円ほどの資金がすぐに集まり、渋谷に近いオフィスで活動を開始した。優れたベンチャー企業を発掘し、その会社を支援し、投資する。報酬は、投資した企業がイグジット(株式公開)したときに跳ね上がる株価である。

インキュベーターという職種に属するのだが、インキュベーターである我々の会社にも、多くの投資家が期待して投資をしてくれたわけである。畢竟するところ、他人の褌で相撲をとるようなビジネスだが、時代の息吹を感じることができるのはなかなか新鮮であった。

矛盾を孕んだ「起業家」という存在

私は、有能な編集者であり、このプロジェクトに参加してくれた菊地史彦氏と相談して、急成長を遂げているスタートアップ企業に取材し、日本のベンチャービジネスの現状報告とその分析を主題とする雑誌を発刊した。

その雑誌『エスプレッソ』に私も何度か寄稿した。私は、いつも「起業家とは誰のここか」という主題にこだわり続けた。その理由は、私自身が起業家とみなされていたが、起業家ではないといつも自分を疑っていたからである。

「起業家とは誰かに頼ったり、どこかに帰属することを拒否するメンタリティの持ち主のことだ」という意味のことを私はその雑誌に何度か書いた。

これは、インキュベーターという職種の会社の代表として、自分自身への問いでもあった。

インキュベーターは起業家を援助する存在であり、起業家はあらゆる援助を拒否して己の力で世界を変えようとする存在だとすれば、そこには最初から矛盾がある。

自らの夢の実現のために、誰にも頼らず、どこにも帰属することなく、自由に発想し、自由に行動するために、起業という道へ進もうとするのが起業家だからだ。

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