《東京藝大に6回挑戦も不合格》 それでも彼が浪人を肯定する訳 「早く大学に入るのが怖かった」と語る真意も

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岡部さんは1989年に千葉県松戸市に生まれました。

小学校1年のときに外資系コンサルティング会社勤務の父親の転勤で名古屋に引っ越し、小学4年で東京に移ります。母親は専業主婦でしたが、中学校のときに両親が離婚したことが影響して、岡部さんが高校生になってからはKUMON(くもん)で先生をするようになり、家計を支えました。

幼少期の岡部さんは、「協調性がない子どもだったと思う」と語りますが、小学校まで勉強面ではあまり困ったことはなかったそうです。

「幼稚園からくもんに通って先取り学習をしていたので、テストはほぼ100点だった記憶があります。特別な趣味はありませんでしたが、小学校のときから絵を描くのは好きで、絵の賞をもらったことがありました」

最難関と言われる東京藝大を志望

公立小学校から公立中学校に進学した岡部さんはいい成績をキープしていたものの、途中から自律神経失調症になり、うまく立ち上がれなくなったこともあって不登校気味になります。

そのため勉強をする量が少し減ったそうですが、その時期に絵やイラストを見ていたこともあり、絵への関心はより高まっていきました。

出席日数が足りなかったものの、成績を大きく落とさずに済んだ岡部さんは、家の近くの保善高等学校に進学します。

高校に進学してからは勉強をあまりしなくなったそうで、高校1年生のときの成績は、300人いた同級生の中で真ん中くらいでした。

しかし、高校2年生になるころには絵を描いて生きていこうと決め、1学期から学校終わりに新宿美術学院(ena美術)に通い始めます。以後、彼は浪人生活を含めた7年間をずっとこの予備校で過ごすことになります。

「高校1年くらいのときから、将来は絵に関わる仕事に就きたいと考えていましたが、2年生になるころには絵を仕事にしようと強く決意しました。当時は美大受験ではあまり学科の点数が必要ないと聞いていたので、さらに勉強しなくなり、赤点を取ることもありました」

彼の第1志望は東京藝大の中でも最難関と言われる、美術学部絵画科油画専攻でした。

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