カーネーションの花は咲く--そごう柏店「までい着」販売会までの足取りを追う
だが、母ちゃんたちの不安は開店とともに、うれしい悲鳴に変わった。お客さんが続々と集まってきた。11時ごろには、商品を手に取る人、いろいろと尋ねる人等々で会場はあふれた。
ひっきりなしにやってくるお客さんの中で、小学生の女の子が、寄付した着物が使われたまでい着を見つけ、「ああ、これ、おばあちゃんの着物だよ」と母親に声をかけた。佐野さんが走り寄った。
「ほんとうにありがとうございます」
一面識もない佐野さんと母子が親しげに話し合う。
ウメさん、武藤貞子さん、三輪栄子さん、井上ユキノさんらの縫い子の実演グループの周りには人だかりができた。ある女性が「私は、双葉町から避難して、今、千葉の稲毛に住んでます。飯舘の人たちが来るというから飛んできました」と声をかける。ウメさんたちは椅子から立ち上がってその女性と握手した。
「去年3月12日、南相馬に入院していた主人と母親と3人で、飯舘村を突っ切って避難しました。主人は、その後、いわき市内の病院に入院したけど、亡くなりました。今は、100歳の母親と二人で暮らしています。飯舘の人たちと会えてうれしい」
その女性の目には、うっすらと涙がにじんでいた。
11日、2日目の日曜日はもっと大勢の人たちがやってきた。自分の着物を抱えて「寄付します」と、おずおずと話しかける人も少なくない。そのたびに佐野さんたちは深々と頭を下げた。
飛ぶように商品は売れた。隣の高級洋服売り場の女性社員は「すごいですね。売れて、本当によかった」と笑顔でその光景を眺めている。
午後5時ごろには、ほとんどの品物がなくなってしまった。までいとプリントしたTシャツは合計500枚用意したが、残ったのはわずかに70枚程度。小物類は完売し、100着以上、陳列した半纏、までい着も数着を残すだけになった。
さすがに、高齢のウメさんたちは疲れた。彼女たちを面倒見てきた田中さん、小幡さん、松下さんが「ほかの場所で休んだほうがいい」と気遣った。
■混雑する会場内
■実演する菅野ウメさん(右端)たちに話しかけるお客さん(左)