カーネーションの花は咲く--そごう柏店「までい着」販売会までの足取りを追う

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佐野さんが「ちょっと回ってくる」と歩き出した。広いフロアの各売り場コーナーを訪れて「お騒がせしました。ご迷惑だったでしょう。もうすぐ、終わりですから」とあいさつする。どの売り場の社員からも「売れてよかったですね」「楽しかったですね」「そちらの商品を買った方がこちらに来て、見せてくれましたよ」と、温かい言葉を返してくれた。

午後6時終了。あっという間の出来事だった。訪れた人の数は2日間で1400名は超えたはずだ。荷物をまとめて、そごう内の中華レストランで支援の人たちへのお礼を兼ねた食事会を開いた。佐野さん、田中さん、松下さんたちが代わる代わる、支援の人たちにビールをついで回った。
 
 支援者の1人が「咲きましたね」と「カーネーションの会」の母ちゃんたち一人ひとりにカーネーションの小さな花束を手渡した。みんな、「あれー」と喜びの声を上げた。ウメさんは花束を拝むようにして受け取った。

8時前、そごうの裏門近くに止まっているバスに母ちゃんたちは乗り込んだ。バスの中で、ウメさんたちは「本当によかったなあ」と、まだ興奮冷めやらぬ表情で言葉を掛け合った。バスが動き出した。支援の人たちが手を振る。
 
 1人が「飯舘村バンザイ」と声を上げると、みんなが次々に「飯舘村バンザイ」と叫んだ。バスの中で、母ちゃんたちが手を振りながら泣き出した。佐野さんはハンカチで顔を覆い続けた。

静まり返った仮設住宅にバスが着いたのは深夜12時過ぎ。日中に降った雪が積もっていた。「いいご褒美をもらったなあ」。誰かが発した言葉に、みんながうなずいた。

翌朝、佐野さん、田中さん、小幡さん、松下さんが集会場に集めた荷物を整理した。この2日は「夢のよう」だった。しかし、今日からまた、避難生活という厳しい現実と向き合う日々が始まっている。

佐野さんは、この手縫い仕事を何とか事業化したいと考えている。

「村に帰れても、放射能問題で農業はなかなかできないからねえ」

佐野さんは支援者の1人に電話をかけた。震災2年目に突入した朝の一言である。福島県はまだ寒いが、このところ、上空では、ひばりがさえずる日も増えている。


■テレビ取材も来た会場入り口風景

(浪川 攻 =東洋経済オンライン)

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