朝ドラ「あんぱん」の演技が話題、河合優実は山口百恵の“再来”なのか? 共通する「暗さ」の魅力、異なる時代背景

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ただ、「東京のように全体的に光源がない」横須賀は、「ちょっと路地に入ると、もうそこはほの暗い」。「横須賀の少女は、その華やぎとひっそりとしたほの暗さを持っている」(阿木燿子『プレイバック PARTⅢ』)。

横須賀は、山口百恵の育った街である。阿木がイメージした「横須賀の少女」とは、いうまでもなく彼女のことだ。「横須賀ストーリー」においては、横須賀という街の「暗さ」と山口百恵の資質的な「暗さ」とが響き合い、「暗さ」がいっそう増幅される。

恋に揺れ動く歌詞の主人公はまだ少女であるはずなのに、山口百恵の歌は大人の女性のものとしか思えないような陰影を感じさせる。「これっきり これっきり もうこれっきりですか」という出だしのサビの歌声、特に「もう」のところの歌唱にはそんな深みがある。

山口百恵と1970年代の日本

山口百恵のデビューは1973年。第1次オイルショックがあった年である。長く続いた昭和の高度経済成長は、そこで明確に終わりを告げた。敗戦からの復興、そして高度経済成長に至るなかで一定の物質的な豊かさは実現されたものの、経済成長という国民共通の目標がもたらす高揚感は失われた。

その頃フォークソングがブームになったように、それは一人ひとりが自分の内面を見つめ直す内省の時代、すなわち一種の暗い時代の始まりでもあった。

結局のところ、山口百恵のすごさは、当時の世の中の「暗さ」を自分自身のそれと共鳴させつつ、自分というフィルターを通して大衆を強く惹きつける表現にまで高めたところにある。そしてその表現は、事実とフィクションが複雑に絡まり合うことで独特の深みを獲得していった。

たとえば、ドラマにおける彼女の代表作「赤いシリーズ」で山口百恵が演じた役柄の多くは、出生の秘密を抱えている。世間やメディアはそこに山口自身の複雑な家庭事情を重ね合わせたりもしたが、それもいまとなっては、当時の社会そのものが抱えていた「暗さ」を山口百恵という存在に投影していたのではないかと思える。

そうした行き場を失った大衆の思いを受け入れる器の大きさゆえに山口百恵は時代のアイコンになった。

要するに、河合優実と同様に山口百恵にも「そこにいま本当にいる」と感じさせる実在感があった。とりわけ山口百恵は、大地に根を張ったような揺るぎなさを感じさせる意志の強い女性として人々を魅了した。いまから思えば昭和的とも言える20歳での結婚による絶頂期の引退という選択も、自分で決断するという点で一貫していた。

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