朝ドラ「あんぱん」の演技が話題、河合優実は山口百恵の“再来”なのか? 共通する「暗さ」の魅力、異なる時代背景

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一方、河合優実が体現する令和は、誰もが居場所を喪失したような感覚、たったひとりで放り出されたような感覚に陥りやすい時代だ。「失われた30年」とも言われ、バブル崩壊から続く長い停滞期間のなかで、昭和のような高揚感はすでに記憶から薄れている。

河合が主演した映画『ナミビアの砂漠』(2024年公開)は、そんな令和の空気感を感じさせる作品である。特に目標もなく、退屈を持て余しながら交際相手と同棲生活を送る21歳の女性・カナが主人公。確固とした居場所の感覚は希薄で、どこか根無し草のように生きている。

映画『ナミビアの砂漠』
(画像:映画『ナミビアの砂漠』Xより)

河合優実は、「なんとなくどこにもずっと属していないというか、所在ない感じ」がカナと自分の共通点だとインタビューで語っている(『GINZA』2024年9月24日付記事)。

そのこと自体は、「暗さ」に直結するわけではない。連ドラ初主演となった『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK BS、2023年放送)も、家族がバラバラになりそうになるなか、家庭という居場所を作り直そうと孤軍奮闘する娘の話だった。

だが『あんのこと』の杏のように、居場所になるはずの家庭の決定的な崩壊、そしてコロナ禍による文字通りの孤立が重なるとき、時代が抱えた闇に取り込まれてしまうことが起こり得る。

令和の「暗さ」とは、そんな個人の漂流、それと表裏一体の生きる基盤の脆弱化がもたらす漠然と広がる暗さだ。その状況は、経済成長という共通の目標が失われながらもまだ社会に一体感が残っていた1970年代に比べ、逆により深刻だとも言える。

河合優実は山口百恵の“再来”か?

だから河合優実は山口百恵の“再来”なのかと問われれば、答えは「イエスでもありノーでもある」ということになるだろう。

2人が生きるそれぞれの時代の「暗さ」は、いまみたように同じものではない。

その点では、おのずと2人の表現者としてのありようは違ってくる。苦境に負けず打ち勝つ強さが山口百恵においては前面に出ていた。それに対し、河合優実においては、出口の見えない状況に翻弄されながら、それでも生きようとする姿が切なくも愛おしい。

とはいえ、ともに時代が抱え込んだ「暗さ」をドラマ・映画や歌のなかで具現する類いまれな資質と才能を持つという点では、明らかに共通点がある。

単に容貌や雰囲気が似ているだけにとどまらない“暗い時代”の体現者という意味で、河合優実が山口百恵の本質的な意味での後継者であるのは間違いないだろう。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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