"廃墟寸前"劣悪な状態で放置された文化住宅、今や人が集まる場所に再生されたミラクル。改修費用は新築以上、それでも壊さなかったのはなぜ?

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手を付ける前の小川文化
手を付ける前の小川文化。北側は特に湿気がひどかった(写真:オルガワークス提供)

関西では高度経済成長期の昭和30年代を中心に「文化住宅」と呼ばれる木造2階建ての住宅が多く建てられた。

それまでの共同住宅は、風呂がなく、トイレや台所は共用で、ひとつの玄関から中廊下で各部屋がつながる形式だった。それに対し、各住戸に独立した玄関や台所、トイレ、時には風呂も備え、当時としては最新式だったことから文化住宅と呼ばれるようになったのだろう。

地方から仕事を求めて集まってきた人たちの住まいとして大量供給されたが、それからすでに70年ほど。現役の物件もあるが、老朽化が進んだ建物も少なくない。

劣悪な状態で放置され「なんとかしないと」

大阪市大正区にある2棟並んだ小川文化もそんな文化住宅のひとつ。2010年に代替わりを機に現場を見に来たオルガワークス株式会社の小川拓史さんが目にしたのは、日が当たらず、湿って老朽化した建物。

「家賃は月に3万円、地元の不動産会社が手渡しで集金をしているという物件で、いったいどんな物件だろうと来てみたらドアを開けるのが大変なほど傾いた廃墟。

先代は現場に行かない人で修繕もしないまま数十年。住んでいる人たちはそんな劣悪な状態で放置されていたにもかかわらず、『住まわせてくれてありがとう』と感謝を口にする。これはなんとかしないといけないと思いました」

そこでまずはより劣化が進んでいた北棟を改修しようと考えたが、工事業者も、空き家改修に取り組んでいる不動産会社も「この建物は使い物にならない」と口をそろえた。

戦後のモノの無い時代に急激に増加したニーズに応えるために建てられた物件で、言葉は悪いが「安普請(=やすぶしん、安い費用で建てた家のこと)」。残す価値ゼロと判断されたのである。

風向きが変わったのは小川さんと一緒に他の場所でシェアオフィスの企画を進めていた細川裕之さんが、兵庫県たつの市の古民家に暮らすイラストレーターの女性と知り合い、彼女が小川文化の南棟に引っ越してきたことから。

【写真】廃墟寸前だった文化住宅、BeforeーAfterでどうなったか(29枚)
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