「意味不明すぎ」 紙やすりの壁紙に"やすられる"部屋、コンセント430個が並ぶ部屋……。アーティストが空き家・空き地を変えた大阪・北加賀屋

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APartMENT
右手に見えるのがAPartMENT。向かいには2棟の長屋が建っており、その奥側は近年改修された(写真:筆者撮影)
水都・大阪の南西部、木津川の河口付近に北加賀屋(住之江区)という地域がある。
立地を生かして大正時代以降、造船業で栄えたが、日本の造船業は1970年代後半から低迷した。北加賀屋でも河口部にあった名村造船所が、大型船の入らない木津川沿いから九州に移転。4.2万㎡という広大な造船所跡地が残された。
主要産業がなくなったことで地域は空洞化。空き家、空き地が目立つようになったが、北加賀屋ではそこに「アート」が入った。アーティストが空き家に手を入れるとどうなるか。他にない進化を続けるまち、北加賀屋をご紹介しよう。
【あわせて読む↓続きの記事】
時間のパッチワーク「継ぎはぎの廃墟」の引力。地域全体が不思議空間、否応なく見せつけられる「廃墟×アート」の可能性《大阪・北加賀屋》

造船所跡地でのアートイベントがきっかけ

北加賀屋にあった名村造船所大阪工場が、土地所有者で北加賀屋一帯の地主である千島土地株式会社に返還されたのは、日本が不動産バブルに沸いていた1988年。

「不動産には不朽不滅の価値がある」と多くの人が信じていた時代である。

本来は建物を解体、更地にして返還すべきところだが、貸していた土地が返ってくることがあり得ないと思われていた時代でもあったため、特別に現状のままで返還が行われた。

ところが、返還されたものの、防潮堤外の土地であり、住宅や店舗等としては使えない工業専用地域である。バブル期にはボート係留地として貸すなどしていたものの、崩壊後はそれもできず。そんな時に出会ったのが「アート」だ。

「当時社長だった芝川能一が、京都の旧毎日新聞社ビルを「アートコンプレックス1928」という劇場にリノベーションし、プロデューサーとなっていた小原啓渡さんと知り合いました。

芝川が小原さんに“人の来ない真っ暗な工場跡地がある”と話をしたところ、関心を持っていただき、そのご縁で跡地を使って『NAMURA ART MEETING '04-'34』というアートイベントが開催されることになりました。

【記事中に使わなかった写真もこちらで確認】
元社員寮の建物がアーティストの手によって、世にも不思議な空間に生まれ変わっていた!なぜ壁紙が紙やすりなの(34枚)
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