
造船所跡地でのアートイベントがきっかけ
北加賀屋にあった名村造船所大阪工場が、土地所有者で北加賀屋一帯の地主である千島土地株式会社に返還されたのは、日本が不動産バブルに沸いていた1988年。
「不動産には不朽不滅の価値がある」と多くの人が信じていた時代である。
本来は建物を解体、更地にして返還すべきところだが、貸していた土地が返ってくることがあり得ないと思われていた時代でもあったため、特別に現状のままで返還が行われた。
ところが、返還されたものの、防潮堤外の土地であり、住宅や店舗等としては使えない工業専用地域である。バブル期にはボート係留地として貸すなどしていたものの、崩壊後はそれもできず。そんな時に出会ったのが「アート」だ。
「当時社長だった芝川能一が、京都の旧毎日新聞社ビルを「アートコンプレックス1928」という劇場にリノベーションし、プロデューサーとなっていた小原啓渡さんと知り合いました。
芝川が小原さんに“人の来ない真っ暗な工場跡地がある”と話をしたところ、関心を持っていただき、そのご縁で跡地を使って『NAMURA ART MEETING '04-'34』というアートイベントが開催されることになりました。
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