「高層ビルが全然ない…!」1960年代≪31mの高さ制限≫があった”東京・丸の内”の現在と似て非なる街並みをアナログ写真で振り返る

✎ 1〜 ✎ 7 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
東京駅丸の内側を、現在のKITTE丸の内方向から空撮(写真:1964年6月10日、東洋経済写真部撮影)
この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年、1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第10回となる今回は、1960年代なかばの「丸の内」の写真を紹介する。

高層ビルのない時代の丸の内

東京駅の丸の内側(写真:1964年6月10日、東洋経済写真部撮影)

1960年代なかばの東京駅丸の内口側の空撮写真を今見ると、長閑ささえ感じる街の姿が広がっている。界隈に並ぶほとんどのビルの高さは、当時の高さ制限である31メートル、8〜9階建てだ。現在、これらのほとんどのビルは建て替えられて、丸の内は超高層オフィスビルの立ち並ぶ街へと変貌している。

東京駅前の行幸通りに面して、東京駅の向かいにある建物の写真・手前側は丸ビル。奥側は新丸ビルだ。この時代の丸ビルの建物は、1923(大正12)年築で、当時最先端のアメリカ式事務所建築として建てられたものだった。

戦前戦後と東京を代表するオフィスビルとして知られてきた存在で、物事の規模や容積的な大きさを表す場合に、長いこと「丸ビル何杯分」という表現が使われてきたことを昭和世代は知っているはずだ。

その丸ビルは竣工約80年後の2002年に建て替えられ、現在の36階建てのビルとなっている。

【アナログ写真10枚】1960年代半ばの丸の内はこんな感じ。当時は高さ制限があり、高層ビルが全然ない!
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事