「会社から逃げた」元大手メーカー課長の男性。独立起業することを決意するも、選んだ仕事は「農業」だった意外なワケ

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そんな記憶も忘れかけていた頃、課長になる3年前に一戸建てを新築した。その庭を自らガーデニングしたこと、また近所で畑を借りて家庭菜園を始めたことで、自然と触れ合う喜びを再び思い出したことも農業への想いを募らせていた。

このようなことから、自分のやりたいことは一貫してブレていなかった。

幸いにも私の実家には先祖代々の農地があった。

といっても、親が農業に従事していたわけではない。父親は、トヨタ自動車の工場に勤務するサラリーマンで、農業をする姿はほとんど見たことがなかった。母親も家庭菜園で自分の食べる野菜を栽培する程度だった。

農地はあったものの、近隣の専業農家に預けっぱなしの状態で、自分の家が農家という認識はほとんどなかった。

父親からも、「農業では食っていけない」と聞かされていたし、必ずしも農地を守っていく必要はなく、必要なら引き継いだ農地を売却しても構わないとさえ言われていた。

ただ、振り返ってみると、実家が農地を所有していたのは大きかった。

今では新規就農の相談をよく受けるが、農地探しに苦労することが多い。理由は農地には規制が多く、流動性が制限されているからだ。農業の競争力強化が叫ばれる昨今、規制が緩和されていく方向であることは間違いないが、農地を所有していたことは農業参入を容易にした。

苦悩する中で出会った1冊の本

もし脱サラ起業するなら農業をしてみたいと、ここまではいいのだが、まったく畑違いの業界でそれも未経験者の私が農業で成功する自信がなかったし、世の中そんなに甘くないと考えていた。

そんな会社を「辞める」「辞めない」と苦悩する中で1冊の本と出会った。それは文化人類学者の上田紀行著『生きる意味』。この中の一節が自分の胸に突き刺さった。

特に自分の気持ちを揺さぶった3つの文章を以下に引用する。

《長い間、この日本社会で私たちは「他者の欲求」を生きさせられてきた。ほかの人が欲しいものをあなたも欲しがりなさい。そして「他者の目」を過剰に意識させられてきた。ほかの人が望むようなあなたになりなさい。しかし、そうやって自分自身の「生きる意味」を他者に譲り渡すことによって得られてきた、経済成長という利得はすでに失われ、私たちは深刻な「生きる意味の病」に陥っている。》
《今私たちの社会に求められていること、それは「ひとりひとりが自分自身の「生きる意味」の創造者となる」ような社会作りである。》
《経済的に自立していても「生きる意味」において自立していなければ、私たちはこの社会システムの奴隷となってしまう。学校の成績が良くても、本当に自分のやりたいことが分かっていなければ、私たちは単なる「いい子」だ。そこから本当の自分自身が「意味の創造者」となれるかどうかが問われているのである。》
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