お金と病気で苦労続き…ついに自殺未遂まで! 「ドン底」だった82歳を救った意外なモノ。「年金たった3万・ほぼ寝たきり」からの大逆転劇

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かわいい孫を見つめるかのように目を細める斉藤さん。

ともに働く、斉藤さんの三女・畑中千里さんが、「このがま口バッグ、もう何千個も作っているのに、毎回『この柄、ええなぁ』って、めっちゃ新鮮な感じで言うんですよ! おトクな性格でしょう?(笑)」と、すかさず父にツッコミを入れる。

「G3sewing」は、バッグやポーチなどの裁縫作品を手がけるソーイングチーム。2020年に82歳でバッグ職人デビューした斉藤さんを、千里さんら家族が支える。ほかにも縫製を行う内職のスタッフを複数名抱え、製作に励む。

斉藤さん一家
家族で営む「G3sewing」。妻・陽子さん(下列右)は商品の包装を、長女・法子さん(上列右)は縫製を担当。三女・千里さん(上列左)は代表として全体管理を行う。この日不在だった千里さんの夫・祐二さんも生産や品質管理、経理担当として工房を支える(写真:筆者撮影)

千里さん夫婦の長男長女も仕事や学業の合間に駆けつけ、祖父母をサポート。若い世代ならではの感性で、「G3sewing」を盛り立てている。

お金と病気の苦労続き。ついに自殺未遂も

家族に囲まれ、大好きな仕事にも恵まれ、幸せな毎日を送る斉藤さん。だが、ここに至るまでの道のりは波乱の連続だった。

31歳で陽子さんと結婚。3女1男に恵まれ、41歳で得意の電気工事の技術を生かして電化製品の修理専門会社を開業した。順調な日々だったが、大得意先である大手スーパーの急な方針転換に納得できず、けんか別れ。翌日から無職になった。

無職の間は新聞配達のアルバイトをしながら、独学で学んだ知識で「オゾン発生器」を開発。全国的に評判になり安堵した矢先、大手の会社に仕事を奪われ、事業継続できなくなる事態に陥った。

一転、スナックの経営に乗り出したこともある。しかし、うまく行かず、借金がかさんで数年で店を畳むことになった。

バイタリティもあれば、職人としての腕もアイデア力もある。だが、本人曰く、「短気で人付き合いが苦手」。仕事が長続きせず、お金の苦労が絶えなかった。

68歳からは、相次いで大病にも見舞われた。大腸を半分摘出し、一時は大動脈解離で生死をさまよった。その後も痛風、糖尿病と次々病が襲い、とうとううつ病を発症。大量の睡眠薬を持って家出し、自殺未遂まで起こした。

斉藤さんは「この時期のことはあまり思い出したくないなぁ」と言いつつ、こう吐露した。

「『毎日、死にたい、死にたい。生きてても皆に迷惑かけるだけや』と、そればかり思っていました。年金は月3万でお金もないのに、病院代ばかりかかって、おっかあ(妻)にも子どもや孫にも何も買ってやれない。逆に子どもや孫たちからお小遣いもらって、ホンマに情けなかったよ」

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