カリスマ現代文講師が語る「読める人」と「読めない人」の二極化に隠された危機。大学入試の合否を分ける「シン読解力」とは?

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これは入試問題の話だけでなく、あらゆるコミュニケーションスキルの基礎であり、これがないと先がない。

あらゆるものに応用可能な普遍的なスキルである、ということを議論している本だと受け取りました。

教員も予備校の先生も、解釈を含めた難しい話をしすぎているのかもしれない。もしかすると「書いてあることを正しく読む」ことに立ち戻って、本気で議論しないといけないのかもしれないのだと、自己反省も含めて考えさせられました。

「読める人間」と「読めない人間」

生徒たちを見ていると、大きく「読める人間」と「読めない人間」に二極化し、その差は学力レベルにも影響しています。

不思議と、「読める人間」は、ピグマリオン効果というか、「自分はできる」というメンタリティが構造化され、周りの期待もあって、どんどん自信を持ち始めるんです。

本も読むし、問題にも前向きに取り組むようになる。

しかし、「読めない人間」は、面倒くさがったり、苦手意識を持ったりすることからどんどん沈んでいく。

こういった蓄積の果てに大きく二層化が起こっているのだと思うんです。

読めていない生徒のプライドを少しくすぐったり、背中を押してやって「できるんだ」と思わせたりして、エンカレッジしていくことができたら、一気に伸びる子も多いのです。そこが予備校講師としての勝負どころだと思っています。

読めていない子どもが「読める」という自信を持つことによって成績が伸びるのを目の当たりにすると、「シン読解力」と学力に強い相関があるという新井先生の主張には、予備校講師としてとても納得できます。

2022年度から導入された新学習指導要領では、それまで「現代文」として学んでいた科目が、「論理国語」と「文学国語」の2つの選択科目に分けられました。

論理国語では評論や実用文を扱い、文学国語では小説や詩歌を学びます。論理国語は、文部科学省が、明瞭かつ客観的に読むことを視座として強く認識していることを示したものだと言えると思います。

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