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20代でこだわりたい、失敗を取り戻す≪努力の質≫とは?~アラサーで“現実”に直面し、”夢や目標”を修正する必要性に迫られる前に~

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志もあるし、やるべきこともはっきりしている。けれど、わが道を進むのに授業料を払い、学生の身分が続くということに、どうにも納得がいかなかった。先の見えない状況に、もどかしさや歯がゆさを覚えていたのかもしれません。

教官から指導されること自体が納得できなかった

まあ納得がいかないといっても、そういう制度なのだし、自分でその道を選んだのだから文句を言える立場ではないのもわかっています。

でも、研究者になるのに、なぜお金を払わなければならないのかも疑問だったし、そもそも大学院に進まなければ研究者になれないというシステム自体にも我慢ならなかった。

それに前述したように、自分はすでに研究者だというアイデンティティを強く持つあまり、教官から指導されること自体が納得できなかったのですね。

今思うと、顔から火が出るほど恥ずかしいことです。若気の至りとはいえ、こんな謙虚さを欠いた態度は、まだ半人前の学生として許されるものではない。本当によくない思考回路だったと、いまだに反省することしきりです。

この生意気さ、傲慢さ以外にもうひとつ、僕には致命的な心得違いがありました。研究者の最たる取り組みである論文の書き方そのものに大きな誤解があったのです。

当時の僕は、自分が専攻していた教育学研究の領域は、他領域に比べるとさほど難しいものではないと思っていました。

だから、自分にしかない壮大な視点で、教育理論をすべて形にするような論文を書き上げたいと、大いなる野望を持っていたのです。

しかし、そもそも論文というものは、そんなアプローチで取り組むべきものではありません。ピンポイントで焦点を絞って書くものだし、そのほうがずっと書きやすい。これは論文を書くにあたっての常識です。

ところが、僕はそれを無視して身体と心の関係を明らかにし、それを教育理論として確立するという壮大な野望の“言語化”を実現しようと目指しました。

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