20代でこだわりたい、失敗を取り戻す≪努力の質≫とは?~アラサーで“現実”に直面し、”夢や目標”を修正する必要性に迫られる前に~
結果として、論文がなかなか仕上がらない。書き上げても納得がいかないからまた書き直し……。そんなことを、ずっと繰り返していたのです。
「自分、何か大きく間違っているな」
でも、そうこうするうち、26歳のときに結婚して、しかも子どもが生まれるということに。さすがにこれはまずいと思い、テーマを絞って書くよう努めます。
たとえば、指圧やマッサージといったものを教育と結びつけました。自分としては、われながら画期的ですごい発想だと得意げな気持ちいっぱいで書いたわけですが、読まされるほうにしてみれば「指圧、マッサージ……。何じゃそりゃ」です。
実際、そんな僕の論文は、どこの大学に送ってもまったく相手にされませんでした。
普通は論文を読むと、どこかに折り目がついたり、書き込みがあったりするものですが、そんな形跡は一切なし。明らかに読んでもらっていない状態で返されることがほとんどだったのです。
ここに至って、僕はようやく「自分、何か大きく間違っているな」と気づきます。どんなに意欲やアイデアがあっても、他人に理解されなければ意味がない。
そこで、普通の研究者にとっては当たり前のことですが、いろいろな学会に所属し、専門家による審査を受けた査読つき論文を書くことに力を注ぎました。
すると、そうした論文が次第に注目を集め、研究者として認められるようになっていきます。自己中心的な考え方を引っ込めて、人に理解される努力を重ねたことで、なんとか窮地を脱することができたわけです。
この紆余曲折に、僕はなんと10年もの時間を費やしてしまいました。自分の考え方にこだわるあまり、足元の現実をおろそかにし続け10年……。「もっと早く気づけよ」という君の心のツッコミが聞こえてくるようです。
ただ、このような努力の空回りは──開き直りでも何でもなく──誰にでも起こり得ること。ですから、自戒も込めつつ君にこう言いたいのです。どれほど努力しても人に理解してもらえなかったら、その努力も意味をなさないのですよ、と。
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