「人に頼るのはいいが、頼り過ぎてはいけない」けれど、その塩梅はどうやって見分ける? 禅僧が教える「ちょうどよい頼り方」のポイント

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ちなみに「主人公」も禅語です。

小説などの中心人物を指す言葉としてお馴染みですが、「どんなときも本来の自分を見失わず、主体性を持って行動できる自分自身」という意味です。つまり、人生の主人公は自分自身なのです。

相手に深入りし過ぎない

趣味の仲間やご近所同士、仕事でのつき合いなど、知り合いとの交流は生活を豊かにする大切なものです。しかし、過度に深いつき合いを求めると、お互いのプライバシーを侵害し、トラブルの種になることがあります。

ここでは、適度な距離感を保ち、良好な関係を築くことの重要性について考えてみましょう。

たとえば、ヨガ教室に通う女性が仲間の1人と親しくなり、毎回教室後にお茶を飲む関係になったとしましょう。

お茶を飲んでヨガのことや家族のグチを笑いながら話している程度ならよいのですが、そのうちに相手が家庭内のプライベートな事情を深くたずねてくるようになりました。それを負担に感じるならば、それは行き過ぎたおつき合いです。そうなれば、意図的に距離を取るしかありません。

職場でも、こんな例があります。

同僚から仕事以外の悩みを相談されるようになり、最初は親身になって聞いていましたが、それが次第にエスカレート。その同僚の相談を聞くたびにストレスが増し、仕事も滞るようになってしまった……。

「淡交(たんこう)」という言葉があります。中国戦国時代の思想家、荘子が著した一節「君子之交淡如水 小人之交甘如醴(君子の交りは淡きこと水の如く、小人の交りは甘きこと醴の如し)」に由来します。

「君子の交わりというものは水の如くあっさりしたものであり、小人の交わりは甘酒のようにベタベタしている」という意味で、適度な距離感を保ち、あっさりとした交流を良しとしています。

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