猫のように自由な心で生きるための重要なヒント 怒らニャい禅語:感情をシンプルに整える60の方法

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日ごろ、私たちは、つい人と自分を比べてしまうことがあります。そして、自分は人より「いい、悪い」「できる、できない」「上だ、下だ」などと判断しては怒ったり、喜んだり、落ち込んだりしています。
たとえば、会社の同期が自分より早く出世したら「負けた」とがっかりし、SNSで友人の楽しそうな写真や知人の活躍ぶりを見ては、置いてけぼりを食ったような気持ちになる。そんなことはありませんか?
それは、「二元論」でものごとを考えているからです。善悪、好悪、美醜……、ふたつの対立した概念でものごとを考えることを、二元論と言います。
この二元論にとらわれている限り、心が休まることはありません。いつまでも「隣の芝生」を気にして、ため息をついていなければなりません。隣の芝生はいつでも青いし、いつまでも青いのです。
禅では、二元論から解き放たれ、自由に生きることを教えます。ものごとの良し悪しを判断せず、運命に任せ切って生きる。眼前のことだけに心を向け、むやみに力んだり、へりくだったりすることなく、ただ一途に行動する。
これが、禅が教える生き方なのです。猫のように自由な心で過ごす。そのヒントをお伝えしましょう。
※本稿は枡野俊明著『怒らニャい禅語: 感情をシンプルに整える60の方法』から一部抜粋・再構成したものです。

莫妄想(まくもうぞう)

妄想(もうそう)は、もう終わり。
「いい」も「悪い」も、自分が作り出している。

(写真:『怒らニャい禅語: 感情をシンプルに整える60の方法』より)

禅で言う「妄想(もうぞう)」は、私たちが日常で使う「妄想(もうそう)」とは違います。

それは、善と悪、美と醜、生と死、ふたつの対立的な考え方にとらわれることをさします。

たとえば、花が盛りの時は美しく、枯れたら醜い。私たちは、そのようにとらえがちです。はたして、本当にそうでしょうか。

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