写真家・ヨシダナギ、“東京脱出”の真相 島に移住して得た心の平穏と少数民族への熱情

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しかし、ほかの地域に引っ越そうという考えはなかった。屋久島の物件に一点張り。その思いが通じたのか、7月下旬、屋久島の不動産会社から「ヨシダさんの番になりました」と電話が来た。大家も不動産会社も早く貸し出したいのだろう、「内覧希望であれば1週間以内に来てください。それが間に合わないようであれば、次の申込者に権利が移ります」と言われた。その日程で内覧に行けなかったヨシダナギは即断した。

「これはもう、引っ越すしかない」

物件の内覧をしないまま契約を結び、その年の11月、両親とマネージャーにだけ話をして、ひとり屋久島に移住。初めて訪問してから、9カ月しか経っていなかった。

ヨシダナギ
自分でも意外なほど「島暮らし」に馴染んでいる(写真:Kei Ito/伊藤 圭)

新鮮な集落の距離感

新居は、ある集落のど真ん中にある。実は引っ越し前、島の友人から「人間関係に疲れちゃったから、島で暮らしたいんだよね? だったら、人が多い集落内は勧めないよ」と釘を刺された。とはいえほかに選択肢はなく、「そんな贅沢は言っていられない、人がたくさんいるところでも仕方ない」と島に渡ってきた。

その集落はスーパーに行くのにも車が必要で、最寄りのホームセンターへは車で1時間ほどかかる。「船が壊れたり、悪天候が続くと島のスーパーから食糧が数日間消えたり、アマゾンの荷物などは1週間以上来ない日もよくある」という生活だ。

かつての「アマゾンは翌日までに届くのがマスト」「どこにでも30分以内で行ける場所」という条件と真逆の環境ながら、そういうものだと受け入れてしまえば、苦にならなかった。なによりもヨシダナギを驚かせたのは、近隣の住民とのコミュニケーションが欠かせない集落での暮らしのなかで、日に日に実感する自分の変化だった。

「江戸川区の団地に住んでいた小さい時、鍵を忘れて家に入れなかったことがありました。そうしたら、隣に住むおばちゃんが、『お母さんが帰ってくるまでうちで待ってな』って面倒を見てくれました。私が住んでいる集落には、その距離感が今もあるんです。人が嫌いで屋久島に行ったはずなのに、今はその距離感が心地よくて。島の人に癒やされているんです」

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