写真家・ヨシダナギ、“東京脱出”の真相 島に移住して得た心の平穏と少数民族への熱情
屋久島との出会いは、ほんの数カ月前のことだった。島に移住した友人から「たぶん好きだからおいで」と声をかけられて、「前から気になる場所だったし、行ってみよう」と軽い気持ちで訪ねたのが、2023年2月。
その友人が案内してくれるでもなく、紹介された女性に連れられて、観光客が行かないような場所を旅した。その時、行き慣れた海外の国々に似た雰囲気を感じたという。
「屋久島の自然とともに、ごく当たり前の日々を1日1日丁寧に過ごしている人たちを見て、アフリカを思い出しました。人間って、本来はこうあるべきなんだろうなって思ったんですね。でも、東京にいるとそれを忘れてるんだなって」
その後に戻った東京で散々な出来事が重なった時、ヨシダナギが避難先に選んだのは、東京以外の場所で、初めて「いつかここに住んでもいいな」と思えた屋久島だった。

転がり込んだ幸運
最初から短期滞在するつもりはなく、移住を望んだ。そのためにまず住居を確保しようと、2023年7月上旬、再び屋久島へ。その際、前回の旅で知り合った女性に連絡すると、「借りられる家がない」と言われた。
屋久島は2020年に605人、2021年に617人、2022年570人が転入してきている。転出者も同程度で、加えて出生数より死亡者数のほうが多いため、島全体としての人口は年々減少しているが、小さな島で毎年600人前後の住宅を確保するのは簡単ではない。
その女性からは「家が足りていなくて、探している人も多い。もし借りることができたら、それは縁だね」と言われた。
その「縁」がつながった。屋久島の町役場を訪ね、「移住したい」と相談した際、「1件だけ物件があって、これから情報が掲載されるから、不動産屋に聞いてみてください」と助言され、すぐに現地の不動産会社へ向かう。そこで「すでに2件申し込みがあるから、難しいと思いますよ」と言われながらも、ダメもとで申し込んだ。
この時点で、住んでいた都内のマンションの管理会社に転居すると伝えた。「決まらなかったらどうしよう」という不安よりも、「東京から離れたい」という思いが強かったのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら