昔から大混雑「竹下通り」が"10代の街"になるまで 住宅街だったが「1970年代半ば」から徐々に変化

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竹下通りをゆくティーンエイジャー(写真:1990年4月20日、東洋経済写真部撮影)
原宿竹下通り。夏休みで、平日も賑やか(写真:1990年8月7日、梅谷秀司撮影)
竹下通りを歩く若者(写真:1990年4月20日、梅谷秀司撮影)

世界中でもめずらしい“カルチャーや商売に特化した街”

現在の竹下通りを歩くと、ファッションの街というよりも、ネオ浅草仲見世のような土産物店街と、今日本の若者に人気ナンバーワンの街である新大久保を融合したストリートのようにも見える。

店の前に人が群がっていたのは「ミニブタ・カフェ」。店内で人々と小さなブタが戯れる様子が、通り側の大型の窓から見える。このほかにも、猫カフェ、豆柴犬カフェ、カワウソ・カフェなど様々なアニマル・カフェがあちこちで営業している。

そのほか目立つのは、歩きながら食べるストリートフードの店。韓国ファストフード各種、生の苺を飴でコーティグした“いちご飴”が最近の流行のようだが、一昔前はタピオカとポップコーンの店が並んでいた記憶があり、人気メニューの流行りすたりが激しいようだ。

(写真:2025年2月、筆者撮影)
(写真:2025年2月、筆者撮影)

その中でクレープだけは、1970年代からずっと現在まで続いている、いわば原宿を象徴するスイーツ。そのクレープの店を原宿で最初に始めた「マリオンクレープ」は、ブティック竹の子と同じビル内で1977年に店をオープンし、現在も同じ場所で営業を続けているこの街のもう一軒の老舗。東京だけで32店、全国に約100店を展開するほどに成長し、竹下通りでは今もクレープを頬張りながら街を歩く女の子の姿をよく見かける。

(写真:2025年2月、筆者撮影)

竹下通りを抜け、明治通りに出て、さらに表参道に至ると、そこはルイ・ヴィトン、エルメス、フェンディ、バーバリーなどの世界的ラグジュアリーブランドの並ぶストリート。表参道沿いのエリアは、観光地化した原宿のイメージを避けてか、近年は「原宿」ではなく「表参道」と名乗る傾向があるようだ。

一方で、昭和、平成初期の竹下通りの写真と現在の街とを見比べると、変わらないのは通り入り口近くのマクドナルドと牛丼の吉野家くらい。常に変化してきたのが、その歴史だと思えるが、それは日本の若者文化・風俗の変遷を映しているということでもある。

日本で最初に10代の若者たちの人気の街となった原宿・竹下通りだが、現在はアニメ好きが集まる池袋サンシャイン通り、韓国カルチャー好きが集まる新大久保など、ライバルと言える街も増えてきた。

しかし、こうした10代向けのカルチャーや商売に特化した街は世界中でもめずらしく、それが外国人観光客が竹下通りにやってくる理由なのかもしれない。

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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