昔から大混雑「竹下通り」が"10代の街"になるまで 住宅街だったが「1970年代半ば」から徐々に変化

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竹の子族からは人気タレントになった沖田浩之も輩出された。その後も、浜崎あゆみが「ブティック竹の子」で買った服をアレンジしてステージで着た、レディー・ガガが来店したなどの話も伝わっている。

流行りすたりの激しい竹下通りでも、このブティック竹の子は現在も盛業中。店頭には相変わらず舞台衣装のようなコスチュームが並んでいて、道ゆく観光客の中でも特に西洋人の女性たちが関心を示していた。

ブティック竹の子は現在も盛業中(写真:2025年2月、筆者撮影)

タレントショップが大フィーバー

その後1980年代後半の竹下通りでは、タレントショップの大フィーバーが起きる。そのきっかけとなったのは、1987年、タレントショップ第1号と言われる「元気が出るハウス」の出店だった。

これは日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の番組内企画として、出演者のキャラクターグッズを販売した店で、これが爆発的に受けたことで、それ以後、所ジョージ、森口博子、加藤茶、山田邦子、ダウンタウンなど、芸能人の似顔絵をキャラクター化したグッズを販売するタレントショップが竹下通りに林立。

1989年がその最盛期で、タレントショップの数は、竹下通りで42店 原宿全体で52店を数えるまでとなった。1990年前後にブームは全国に波及し、京都嵐山、清里、 軽井沢などにもタレントショップが並ぶようになる。

現在と違って10代の若者たちへのテレビの影響力は大きく、竹下通りはタレントショップを目指して全国からやってくる少年少女たちの目的地となり、制服姿の修学旅行生も見かけるようになった。

原宿・竹下通りのタレントショップ(写真:1994年3月4日、尾形文繁撮影)
原宿・竹下通りのタレントショップ(写真:1994年3月4日、尾形文繁撮影)
原宿・竹下通りのタレントショップ(写真:1994年3月4日、尾形文繁撮影)
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