東大卒エリートが「60歳で落語家に転身」した結果 自ら「ベンチャー落語家」と名乗る納得の理由
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年齢を重ねて新たなキャリアに挑戦する人が増えている。神奈川県在住の豆生田信一さん(67)が、60歳の時に第二の人生として選んだのは「落語家」だ。東京大学を卒業し、横浜銀行に入行。さらにMBA留学や、綜合警備保障のタイ子会社社長などを歴任した輝かしい経歴を持つ豆生田さんはなぜ「レールの先」を選ばなかったのだろうか。
57歳で落語教室に入会
「待ってましたっ!」。着物姿の参遊亭遊助さん(本名・豆生田信一さん)が登場すると、かけ声が飛ぶ。巧みな話術で、古典落語「宮戸川」を披露すると会場は笑いに包まれた。1月下旬、東京・亀戸梅屋敷での1コマだ。
「本番を重ねることが一番の稽古」と、年間120回以上、高座に上がる。ときには座布団やめくり台を持参し、企業やロータリークラブの会合など、国内外問わずあらゆる場所に出向く。「酒屋のビールケースの上で口演したこともありますよ」。
小さなころから人前に出たり、人を楽しませるのが好きだった。緊張など無縁。高校生のときには、NHK「のど自慢」に出場。アメリカのミシガン大学に留学時は、1人オペラをクラスメイトの前で披露した。
43歳で綜合警備保障(ALSOK)へ転職し、タイ子会社社長としてバンコクに赴任。部下が所属していた現地の日本人劇団の公演を観たのを機に、自身も入団し活動することに。駐在時代の最後の公演では、『クリスマス・キャロル』の主役スクルージを演じるまでになった。
帰国後も活動を続けたいと思っていたが、「演劇は仕事で稽古に参加できないと他の団員に迷惑がかかる。落語なら1人でできる」と、57歳で三遊亭遊三師匠の落語教室に入会。定年後、65歳まで会社に残る道もあったが、落語に専念しようと会社を辞めた。
60にして大企業の社員から一転、後ろ盾のない落語家への転身である。どんな心境の変化があったのか。
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