英語の先生の伴走もあり、前年センター試験で半分を割った英語も少しずつ成績が上がっていきました。勉強を継続した結果、秋まではずっと第一文学部・第二文学部どちらもE判定だったものの、最後に受けた冬の模試では第一文学部でC判定が出ました。
「C判定がやっと出たときは『よし!』と思いましたが、E判定だったときも、腐らずにずっと『絶対に早稲田に行くんだ』と信じていましたし、直前までずっと英語メインでやっていました。E判定はいい判定だとずっと言い聞かせていましたね。大隈講堂が写っているポスターを予備校の先生にもらって、天井に貼って、早稲田に行くイメージトレーニングをしていました」
こうして自身に強力な暗示をかけて受験勉強に取り組んだ大城さんは、第一文学部と第二文学部に出願。第二文学部の試験は手応えがあったようで、同日発表だった第一文学部と第二文学部の合格発表を早稲田キャンパスまで見に行き、第二文学部の合格を確認してから、家を探し始めました。
「合格したときは嬉しかったですが、早稲田愛が強すぎて毎日勉強とイメトレをしていたので、合格できたのは半分当然だなと思えました。教えてくださった先生や、家で合格の電報を受け取った父親が、とても喜んでくれたことがありがたかったです」
こうして1997年、2浪で大城さんは早稲田大学第二文学部に合格できました。
「人間やればできると思えた」
早稲田大学に入った大城さんは、予備校の友人がいた応援部のチアリーダーズに入り、4年間をチアリーディングに捧げました。『早稲田に浸る日々が大好きで、部活しかしていなかった』と語るように、単位が足りずに半年留年をするも、留年分の学費はバイト代で賄って、2001年の9月に卒業しました。
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彼女に浪人してよかったことを聞くと、「自分に向き合うことができた期間だった」、頑張れた理由については、「人間、やればできると思えた」と語ってくれました。
「2浪を決めるうえで、私の1浪のときの成績では早稲田には到底入れないと多くの人から言われました。でも、みんなが匙を投げた私でも、誠意を見せることによって、サポートしてくださって、一緒に成長することを喜んでくださる先生に出会うことができました。人間って、頑張ればできるんだなって思えるようになりましたし、人との繋がりや、ありがたさに気づくことができました。2浪のときの経験で自分を信じられるようになれたのが、後の人生においてもとてもよかったです」
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