「浪人に憧れを抱いた」彼女が2浪で直面した現実 浪人生ピークの時代に2浪経験、早稲田を目指す

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「今のようにLINEもメールもない時代だったので、再会できて嬉しかったです。そんなに話はできなかったのですが、遠目に彼女たちを眺めていると、今まで押さえていた早稲田への思いが再燃してしまいました。講習会の後ずっと悶々としていて、このままではダメだと思って、新幹線で三島に帰って、すぐに近くの本屋で早稲田の赤本を買いました」

国際関係学部は、もともと受験のときの選択科目が日本史だったにもかかわらず、大学に入ってから世界史の知識がいる学部だと知り、授業についていけなかったことも、悩みの1つではあった大城さん。

「早稲田以外受けない」と強い決意

講習会から1週間で仮面浪人を決意したものの、片手間では絶対にいけないと思った彼女は、6月の頭に親や担当教授に大学をやめることを伝え、1浪目に通った光義塾予備校にもう一度通う決断をしました。

「今まではダメな理由を見つけて諦めようと思っていたのですが、どうしても早稲田に行きたい気持ちのほうが強くなりました。親には猛反対されて、休学を勧められたのですが、流されやすい自分は退学して退路を断つしかないと思ったんです。

退学して、沖縄に帰ってから、元いた予備校の先生に頭を下げて、『私をどうか、早稲田に合格させてください。早稲田以外受けないし、早稲田以外行きません。無理難題、どんなこともやるから、どんなカリキュラムもこなすから、学部はどこでもいいから早稲田に行かせてください』と伝えました」

多くの先生は早稲田に行くことを難しいと感じていたようですが、前年大城さんを担当した英語の先生はその熱意を汲み取ってくれたそうです。その講師は、集団授業に加えて、個別で大城さんが早稲田に合格するためのカリキュラムを丁寧に作り、勉強方法から教えはじめました。国語が得意で英語が苦手である大城さんの特性をわかっていた先生は、受験する学部を絞ったうえで、英語を中学生のドリルからやることを提案します。

「1浪のとき、センター試験の国語は1問ミスだったので苦手意識はありませんでした。日本史よりも小論文のほうができたので、英語に8~9割の時間を割くためにも、当時、試験科目が英語・国語・小論文だった第一文学部と第二文学部に絞って、英語の勉強を基礎からやり続けました」

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