大城さんは1977年3月、父親が自営業、母親が公務員をしていた沖縄県の家庭に生まれました。
母親が教育熱心な家庭で育ったためか、公立小学校時代の大城さんの成績はそれなりによく、280人ほどの同級生の中で学年10番程度の成績をキープしていました。
中学校ではバレー部に入ったものの、才能がないと感じて1年で退部します。それからは個人塾にこそ通っていたものの、中だるみの時期を迎えてしまい、入学時に学年10番前後だった成績も、中学2年生では100番程度に順位が下がってしまいました。
「もともと『そのときが楽しければいい』精神だったので、部活を辞めてからは、友達とカラオケに行ったり、意味もなく集まったりという生活を過ごしていました。そのため成績も落ちたのですが、そのとき担任の先生に『この成績だったら高校行けないよ』と言われたんです。偏差値とか、どうやったら高校に行けるかとかもよくわからなかったのですが、焦って勉強した結果、中学3年生になったら元の成績に戻りました」
しかし、最高学年になっても将来の夢や、やりたいこともあまりなく、高校受験でも「なんとなく行ける範囲で、上のほうの学校に行ければいいかな」と考えていたそうです。
「県立の首里高校を第1志望で受けようと思っていたのですが、先に受けた私立の沖縄尚学高校に受かったので、これでもう受験はいいかなと思って進学しました」
同級生が優秀で勉強が面白くないと感じた
こうして、沖縄尚学高等学校の普通科に進学した大城さんでしたが、中学時代と同じように勉強をしていたら、同級生で500人中200番台だった成績がすぐに300~400番台くらいに低下してしまいました。
「優秀な人が集まっていた高校だったので、全然勉強についていけませんでした。自分は頭がいいと思っていたのに、勉強できないことを自覚させられましたね。もともと特に勉強が好きなわけではないですし、やりたいことがあるわけではないので、自分の成績を見て『勉強って面白くないじゃん』と思ってしまったんです」
土曜日にがっつり授業が入り、日曜日に模試が入ることもあるほど勉強漬けの日々だったことも、彼女から自主的な勉強を遠ざける要因となったそうです。
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