部活に入らず、勉強以外の時間は友達と遊んだり、家でダラダラと過ごしたりしているうちに最高学年が目前となった大城さんは、ここで初めて、差し迫った受験について考えはじめます。
「進学校なので割と早い段階から受験を意識するように言われていましたが、ピンとこなくて、高校2年生の終わりになって『やばい、受験どうしよう』と思うようになりました。そのタイミングで、たまたまテレビか何かの媒体で、バリ島の特集をしていて、興味を持ったので『将来バリ島に移住したい、そのためにインドネシア語を学びたい』と思うようになりました。その影響で、英語がいちばんできないのに東京外国語大学を第1志望にしてしまいました」
こうして東京外国語大学の外国語学部インドネシア語学科 (現:言語文化学部・インドネシア語専攻)を第1志望にして勉強を始めた大城さん。
しかし、高校3年生で受けた河合塾の偏差値は40で、どこの大学も判定はE。センター試験では半分も取れず、この年は前期で東京外大、後期で琉球大学を受験して不合格でした。
浪人自体にキラキラした印象があった
大城さん自身は受験勉強をしているときから、もうこのままだと浪人するだろうし、浪人するのは仕方ないと受け入れていたそうです。いざ不合格になって浪人に踏み切るときも「浪人自体に明るい印象があった」と語るように、そこまで抵抗はありませんでした。
「E判定しか取れないので現役で行ける大学はないし、どちらにせよ、浪人はするものだと思っていました。だから落ちてもショックではなかったです。漫画かドラマで予備校生をテーマにした作品を見ていて、(浪人生活が)キラキラしている印象があったので、浪人生になってみたい気持ちもありました」
こうして浪人を決意した大城さんは、「周囲に流されやすいから、友達が誰もいない予備校に行こうと思った」ために、友達の多くが行く尚学院ではなく、光義塾予備校で浪人生活を始めます。
最初は知っている人がいなかったものの、意識が高い周囲の友達に引っ張られた大城さんは、予備校が開いてから閉まるまで朝晩ずっと勉強をしていたそうです。
「周りに引き上げられて、勉強量がすごく増えました。この予備校を選んで正解でしたね。私って、今までぜんぜん勉強していなかったんだなって思うようになりました」
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