マスク氏と「大ゲンカした日本人」が元リクの必然 人材輩出企業「リクルート」強さの秘密【後編】

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大きなカバンに見本誌を詰め込んで電車に乗る。海外の物件を扱っていそうな不動産会社に飛び込んで営業をかける。どこにも相手にされず、思い余って突撃した新宿の会社は「そのスジの会社」。ほうほうの体で逃げ出した。

だが雑居ビルに入る不動産会社を上の階からアポなしで全部訪問する、リクルート流の「ビル倒し」をやっているうちに、だんだんコツがつかめてくる。

時はバブル景気の絶頂期。海外のリゾートマンションやコンドミニアムを扱う不動産会社が我が世の春を謳歌していた。うまくプレゼンさえすれば、どんどん広告を出してくれる。半年もすると、笹本氏は「トップ営業」の仲間入りを果たした。

創業者が逮捕されたリクルート事件

順風満帆に見えた笹本氏のサラリーマン人生だったが、入社11カ月目の1989年2月、リクルート創業者で当時会長の江副浩正氏が贈賄の疑いで逮捕された。政治家や官僚への子会社リクルート・コスモスの未公開株譲渡が賄賂とみなされた「リクルート事件」である。

世間のリクルート・バッシングは凄まじく、それは新入社員の笹本氏にも及んだ。

「笹本くん、僕にもお金くれるんだろ?」

入社1年に満たない笹本氏には、会社を選び直すチャンスもあった。そうしなかったのは会社にこう説明されたからだ。

「江副さんが何をやったかは知らないが、少なくとも俺たち社員は悪いことをしていない。取引先やマスコミに聞かれたら、知っていることは全部話していい」

笹本氏は思った。

(この会社はいい会社だ)

多くの社員が笹本氏と同じ気持ちだったのだろう。東大で心理学を学んだ江副氏は「目標達成意欲」の強い学生を大量に採用していた。逆境に追い込まれたことで、彼ら彼女らに火が付き、驚くべきことに事件があった1989年度、リクルートは最高益を叩き出す。

リクルート事件の嵐が収まった1993年、笹本氏は会社の留学制度に手をあげる。狭き門だったが「リクルートを再生するための勉強をしたい」という論文が認められ、ニューヨーク大学への留学を勝ち取った。そのころ、アメリカでは、アル・ゴア副大統領が「情報スーパーハイウェイ構想」をぶち上げ、インターネット産業が爆発寸前の状況にあった。

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