「元リク」が日本サッカーを史上最強にした理由 人材輩出企業「リクルート」強さの秘密【前編】

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

そもそもサッカー界の人間ではない村井氏が、なぜJリーグのチェアマンになれたのか。そこまでのストーリーも実に「元リク」らしい。

村井氏は文武両道で知られる埼玉の名門、浦和高校のサッカー部でゴールキーパーを務めた。村井氏の時代の浦高は高校選手権で県のベスト4まで勝ち進む強豪だったが、村井氏は受験して早稲田大学法学部に進んだ。大学以降、サッカーは「観る側」に回った。

1983年に日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。東京・秋葉原の営業所配属となり、近辺の中小電気ショップを中心に求人広告の営業からキャリアをスタートさせる。入社5年目の1988年、のちに創業者の江副氏が逮捕されるリクルート事件が起こり、この時期に営業部門から人事部門に移る。

村井満氏ら、さまざまな世界で活躍している「元リク」たちと筆者の連続トークイベントが開催されます。詳しくはこちら

2000年に人事担当の執行役員に就任。2004年に本社執行役員と兼務でリクルートエイブリック(現リクルートエージェント)の社長に就任する。2011年、リクルート本社執行役員(アジア担当)のまま、RGF Hong Kong Limited(香港法人)社長に就任した。

リクルートで順調にキャリアを積んだ村井氏だが、仕事一辺倒だったわけではない。Jリーグ発足と同時に地元、浦和レッズの熱烈なサポーターになり、スタジアムに足しげく通った。立ちっぱなしで叫び続けるゴール裏のサポーター席より、ピッチ全体が見渡せるバックスタンドを好み、そこで熱心に「サッカーノート」を付けた。

その習慣は社会人になってからも続き、日本代表の試合にも足を運ぶ。1994年のアメリカW杯は仕事を放り出し、現地で食い入るように観戦した。

「選手のセカンド・キャリア開発に協力してほしい」

そんな村井氏に2007年頃、Jリーグから声がかかる。直接サッカーに関わる話ではなかった。人材ビジネスのプロである村井氏にJリーグから「選手のセカンド・キャリア開発に協力してほしい」と要請があったのだ。

サッカー選手の平均現役年数は6年程度。高校を卒業して18歳で選手になれば24歳、大卒でも28歳で引退する。ポジションがつかめなければ、数年で引退することもある。

その後、指導者、協会関係者としてサッカーに関わる仕事に就ける者は、ほんの一握り。子供の頃からサッカーしかしてこなかった彼らがいきなり実社会に放り出される。村井氏の仕事は「そもそも世の中にどんな仕事があるか」を教えることから始まった。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事