家でよくチャーハンを作っていて、家族からおいしいと言ってもらえるのがとても嬉しかった。文集に将来は「店を一軒持ちたい」と書いていたぐらいだった。
中学を出てすぐに料理人になることも考えたが、父からとりあえず高校には行けと言われ、将来食いっぱぐれないようにとパソコン系の資格の取れる学校に通った。
その後、服部栄養専門学校に入る。鈴木さんに先生が「お前は将来どうなりたいんだ」と聞くと、鈴木さんは「ビッグになりたい」と答えた。
そこで先生が紹介してくれたのが中華の名店「トゥーランドット 游仙境」(当時)だった。先生がお店を紹介してくれ、まずは顔を覚えてもらおうと横浜のお店に手伝いに行った。その後、入社することになる。
今、「すず鬼」で一緒に働いている西本店長もこの時代の同期である。
今につながるホールの仕事の経験
実際に働いてみると、理想と現実の違いに驚いた。華々しいコックの世界を想像していたが、毎日怒られてばかりだった。
鈴木さんは負けずに勉強したが、このまま頑張っても自分が総料理長になるには早くても20~30年かかるだろうと悟った。
そこで、せっかちな性格の鈴木さんが考えたのが、食べるのが好きだったラーメン屋になることだった。ラーメン屋であれば人気になったら一気に有名になれる、そう思ったのだ。
お店を辞めたいと料理長に相談すると、「辞めたいと思ってから1年間頑張れ。そうすればまた新たなものが見えてくる」と言われ、もう1年間働くことにした。
途中で腱鞘炎になり挫折を味わい、ホールの仕事をするなどしたが、この時の経験が今につながっているという。
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