焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで 「喫茶店→テレクラ→ホストクラブ」街の顔の変遷

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現在、この新宿三丁目交差点の伊勢丹周辺は、ルイ・ヴィトン、バーバリー、アップルストアなどのグローバルブランドの店舗が並ぶ街となり、伊勢丹もデパートというよりも外国人をはじめとする富裕層が高級品を買いまくるラグジュアリーストアと化している。

新宿三丁目交差点付近は江戸時代の元禄期に開かれた甲州街道の宿場町の中心にあたり、青梅街道との分岐点である新宿追分という地点でもあった。

最初に発展したのは東口

新宿歌舞伎町
新宿歌舞伎町(写真:1983年、東洋経済写真部撮影)
歌舞伎町(写真:1978年、吉野純治撮影)

1885(明治18)年、新宿に鉄道駅が設置された頃、最初に繁華街となったのは、宿場のあった駅東口側だった。

その後新宿は、関東大震災、太平洋戦争で被災した下町の人々が、東京の西側の中央線や私鉄沿線に移り住み、東京が都市として拡大していくなか、鉄道ターミナルとして、そして、デパートや劇場、映画館、飲食店などのある近代的な盛り場として発展していく。

だが、当時は日本橋、銀座、上野、浅草などが東京の伝統的で代表的な盛り場。新宿はあくまでも新興であり、場末と見られていた。

その新宿が、今日のような地位を獲得したのは、昭和の高度経済成長期以降のことだ。

1960年代半ばから若者の街となった新宿で生まれたアートやカルチャーは、時代を象徴するものになり、1970年代に入ると西新宿に超高層ビル街が建設され、就労人口が増えたことで、他を圧倒する規模と存在感を持つ街となった。

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