焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで 「喫茶店→テレクラ→ホストクラブ」街の顔の変遷

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歌舞伎町一番街 (写真:1983年、東洋経済写真部撮影)
新宿歌舞伎町(写真:1983年、東洋経済写真部撮影)

戦後復興を牽引した歌舞伎町

戦後、空襲で被災し焼け跡と化した新宿駅東口側の街を、さらに拡大・発展させたのは歌舞伎町だった。

1983年の歌舞伎町一番街の写真を見ると、この時期の歌舞伎町でどんな店が流行っていたかがわかる。「のぞき部屋」「男性専科」など風俗街的な店のほか、当時は今よりも盛んだった麻雀店の看板も見える。

演劇、映画と飲食の街として発展した歌舞伎町が風俗街化したのは、昭和32年の売春防止法施行後だとされる。隣りあう新宿ゴールデン街は、非合法で売春が行われていた「青線地帯」と称されていた。そこから、際どい商売を営む店が歌舞伎町方面に広がったというのだ。

写真には「珈琲専門店上高地」「ニュー上高地」「珈琲 異人館」「グレコ」など喫茶店のネオンも多く見られる。「新宿区の統計」によると1981(昭和56)年は新宿区内の喫茶店数が1205軒と戦後最大だった。その2年後の1983年の歌舞伎町にも喫茶店は林立している。

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