喫茶店が消え増えた店は…
しかし現在の「歌舞伎町一番街」入り口付近を歩くと、喫茶店は見当たらず、1983年の写真では目立っていたケンタッキーフライドチキンの店舗もない。今は、ほとんどが焼肉、居酒屋などの飲食店で、熟女キャバクラや風俗案内所なども点在している。1980年代以降、界隈のテナントは変遷してきたようだ。
一方で靖国通り沿いのビルはというと、右側は現在も4棟とも当時のまま。その屋上が、レイク、アコムなど消費者金融の広告なのも変わらない。
そんな、常にギラついている街、新宿歌舞伎町だが、戦前のこの界隈は、商家や住宅、女学校などが並び立つ穏やかな界隈だった。しかし、太平洋戦争の空襲で一帯は全焼。
戦後、焼け野原となったこの地に歌舞伎劇場を建てて、それを中心に復興を遂げていこうと命名された町名が歌舞伎町だった。当時はネットもテレビもミュージカルもない時代。歌舞伎とは、人々が共通して認識する華やかな娯楽で、その煌びやかなイメージを託した町名が付けられたのだ。
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