それはそのとおりなのだが、アメリカのテックバブルについて重要なことはもうひとつある。それは、バブルの悪影響と同時に、バブルによるプラスの波及効果もあった、ということだ。
アメリカのメインエンジンを替えたドットコムバブル
すなわち、異常な株価バブルになったことで、多くのリソースがITセクターに殺到した。ドットコムバブルと言われるように、ただ社名にドットコムという言葉を付け加えた社名に変更したようなインチキな会社も多くあったが、一方で、アマゾン・ドット・コムもマイクロソフトも、その他多くの企業が、異常な株価による株式報酬にひきつけられて、アメリカ中の優秀な人材がITセクターに殺到したのである。マネーも人も殺到し、ビジネスモデル的なブレイクスルーの実現に成功したのである。
シリコンバレーは進化を遂げ、東海岸のエリートモデルから西海岸の起業家モデルがアメリカのメインエンジンになり替わったのである。東海岸でも、例えばボストンは、コンサルティングの町からテックの町に進化したのである。株価はバブルになり、崩壊したし、アマゾンの株価は100倍にもなり一時は100分の1にもなったが、新しいビジネスモデルと次世代へのプラットフォームが生み出され、残り、次の進化を準備したのである。
これが、日本の1980年代にはまったくなかった。すなわち、「失われた10年」は、その前の1980年代のバブルの崩壊後処理で生まれた(失われた)のだが、2000年代の次の10年も、1980年代に次のシステム、ビジネスモデルを準備しておかなかった。そのことにより、敗戦処理後も次へ進むということが起きずに失われた(何も生まれなかった)のである。これが「失われた10年」にとどまらず、20年になった理由である。
では、この間、日本政府は何をしていたのか。国民の支持を受けた小泉純一郎首相のもとで、道路公団民営化、郵政解散、という政治的なトリックを目的とした規制緩和議論というアリバイ作りに終始していた。実際の経済政策は、円安誘導で、安値たたき売り輸出および非正規雇用の柔軟化・拡大により、「派遣」「フリーター」という流行語を生みだし、コストカットによる安売り戦略に終始したのである。規制緩和ではなく、新しい規制のモデルへとモデルチェンジすることが必要だったのである。
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