このままでは「日本は失われた40年」へ突入する 「2050年の日本経済」へ向けて、総括が必要だ

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モノを輸出し、国内のソフトを観光という形で叩き売ることにより、何とか減少する国内需要を補うということにすぎなかったのである。新しいことと言えば、株価インフレ政策であるが、それこそ、1980年代のバブル再来を願う、資産インフレ戦略であった。

アベノミクスとは、日本製品、国内のサービスを円安によるダンピングという安売りで需要を得て国内需要の減少を補うという戦略は、1980年代に行われた、輸出増加を不況期の国内需要減少に対するショックアブソーバーとして使うモデルの流用である。同時に、中身も将来ビジョンも将来への投資もないインフレに酔った1980年代バブルの下手なコピーであり、二重の意味での過去への逆戻り経済政策であった。だから、この10年も何も新しいシステム、モデルは生み出されず、「失われた30年」と言われるようになったのである。

経済学者や霞が関官僚にも大きな責任

まとめると、高度成長期から日本は、「右上がりガバナンス」で経済システムを運営してきたが、それがオイルショックで頓挫し、次のシステムに移らなければいけなかった。だが、先進国で唯一うまくオイルショックを切り抜けたことが、バブルを生み、自信過剰と慢心をもたらした。そして、新しいシステムを構築する余裕も金(カネ)も力もあるときに新システムを模索せず、無意識にせよ、意識的にせよ、新しいシステムの代わりにバブルで誤魔化したこと、それが日本経済の良い成熟化の実現を妨げた。

そして、システムがうまくいかなくなってから、何かシステムがないといけないということに気づいたが、試行錯誤をサボり、懐古趣味、右上がりの時代を懐かしみ、右上がりになればなんとかなる、だから量的拡大の時代の再現を目指す、といういちばん安直なというか、もっとも悪い誤魔化し方に終始する政策を政治が求め続けたことが、バブル処理の10年で終わらずに、「失われた30年」、このままでは永遠に失われる日本経済、システムのない日本経済をもたらしたのである。

そして、これは政治だけの責任ではなく、経済学者および霞が関官僚の責任でもある。経済学者たちは、1980年代には「不動産も株もバブルとは必ずしも言えず、何らかのファンダメンタルズ、あるいは将来への希望で正当化できる」と、バブルのつじつま合わせに協力した。次の1990年代には、銀行や金融行政への非難を続け、リストラを支持し、さらに2000年代には、規制緩和を支持し、官僚たちを既得権益の一部と位置づけぶっ壊すことを支持した。

この間、新しいシステム、日本モデルを提示することはなかった。制度学派的な議論が流行し、日本型システムとは、という議論が1980年代にはじまり、1990年代、2000年に入っても続いたが、それは日本の過去を正当化したり、説明のつじつまを合わせて喜んだりしているだけで、新しいモデルは提案されなかった。

21世紀になってからは、改革案も提示されたが、今に至るまで、アメリカに比べて劣る、という自虐的な批判か、アメリカ礼賛のただのコピーかにすぎなかった。新しいモデルもなく、古いモデルも壊し、何もない状態にしてしまったのである。

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