インドでほぼ確でボラれる日本人「歩き方のクセ」 なぜ「騙しやすい奴」と思われてしまうのか

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でも、分断されているから、お互いに簡単にわかり合えない(他者理解は容易ではない)ことも前提となる。そのため、うまく距離を調整したり、差異をわかりやすく表示したり、「わからないからわかろう」と努める姿勢が生まれる。

つまり、差異化して分断したのちに、互いの理解と、つながるための回路を形成していく社会。質問責めの裏にある構造が、少し見えてきた。

些細な差異をマスコットで表現する日本人

ひるがえって、日本はどんな社会だろう。「僕らって、みんな同じだよな」という同質性が出発点になっているように思える。他者との異質性はできる限りおさえ、輪からはずれることを嫌う。自分の意思を強く表明することも苦手だ。

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一方で、ファッションや、方言や、髪型や、カバンにぶら下げたマスコットなどの些細な記号で、僕らは小さな差異の表明をし合っている。まったく一緒は、嫌なのだ。でもやっぱり「同質な我ら日本人」であることを前提としているから、無理に表現しなくても、伝わる(と考えている)。

他者を質問責めにするなんて、もってのほか。プライベートに踏み込むには、相当な時間を必要とする。パーソナル・スペースも広い。「空気を読む」は、「同質な私たちだから、わかるよね?」という暗黙のプレッシャーによって成り立っている。

荒っぽくまとめると、インド社会の関係原理を「差異の徹底的な顕示と異質性への対応・体系化」とするならば、日本社会は「同質性・単一性への傾倒と、それを前提とした個別の瑣末な差異化の力学」が駆動する社会だといえないだろうか。

小西 公大 東京学芸大学 教育学部 多文化共生教育コース 准教授

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こにし こうだい / Kodai Konishi

1975年、千葉生まれ。東京都立大学社会科学研究科博士課程修了。博士(社会人類学)。人類学的視点を基盤として、パフォーミング・アーツやフォトグラフィーの持つ力と、社会的結合や新たな教育のあり方を接合する研究に取り組む。日本南アジア学会常務理事、NPO法人FENICS理事、地域開発の実践と結びついて研究集団「生活文化研究フォーラム佐渡」を運営する。共編著に『フィールド写真術』(古今書院)、『Jaisalmer:Life and Culture of the Indian Desert』(D.K.Printworld)、『インドを旅する55章』(明石書店、近日刊行)などがある。

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