もうすぐGDP世界3位になる「大国インド」の実情 ヒンドゥー・ナショナリズムが台頭する背景

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通勤中のインド人たち
インドのヒンドゥー・ナショナリズムについて解説します(写真:Abeer Khan/Bloomberg)
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ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、収束が見えないガザ情勢、ポピュリズムの台頭、忘れられた危機を生きる難民……テレビや新聞、インターネットのニュースでよく見聞きする、緊迫した世界情勢。「論点」をちゃんと答えられますか? 
「受験世界史に荒巻あり!」といわれる東進世界史科トップオブトップ講師が、キナ臭さが漂う今だからこそ学ぶべき「世界の大問題」を厳選して解説。第2回は「日本人が知らないインドのヒンドゥー・ナショナリズム」。

建国以来対立するインドとパキスタン

18世紀から19世紀の100年にかけて、イギリスはインド全域を植民地にしました。

第2次世界大戦が終わり、イギリスは英領インドの統治終了を決めます。ところが、1つの国として独立するのではなく、4つの国家が成立します。インド共和国、パキスタン=イスラーム共和国、バングラデシュ人民共和国、スリランカ民主社会主義共和国の4つです。この中でインドとパキスタンでは建国以来、現在に至るまで対立が続いています。このことを中心に20世紀後半の南アジアを見ていきましょう。

第2次世界大戦以前から、インドではイギリスからの独立運動が盛んに行われていました。運動を進めていたグループの1つがマハトマ・ガンディーがいたインド国民会議です。インド全域が1つの国として独立しようとする考えでした。このインド国民会議に対して、インドのムスリムだけで1つの国家をつくろうと主張していたのが全インド=ムスリム連盟で、当然両者の考えは食い違っています。

第2次世界大戦が終わり、イギリスの影響力が大きく低下したところでインドでは独立の動きが本格化しますが、全インド=ムスリム連盟とインド国民会議の対立の溝は埋まらず、1947年に全インド=ムスリム連盟はイスラーム国家としてパキスタンを、仕方なくインド国民会議もインド連邦(1950年にインド共和国と改称)を、というかたちで分離独立を果たしたわけです。

独立後の南アジア
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