もうすぐGDP世界3位になる「大国インド」の実情 ヒンドゥー・ナショナリズムが台頭する背景
インドとパキスタンが分離独立した直後の1947年に両国の軍事衝突が起きました。これを第1次印パ戦争(カシミール戦争)と呼びます。
イギリスの植民地だったインドは、イギリスが直接治めている地域と、イギリスから支配を任された藩王が治める地域がありました。分離独立の際、藩王はパキスタンとインドのどちらかに帰属することを迫られます。
今も決着していない「カシミール問題」
このときカシミールを治めていた藩王はインドに帰属することを決めますが、このカシミールは圧倒的にムスリムが多いためにインドとパキスタンがもめることになったのです。結局カシミール地方は南北に分断され、北部はパキスタン、南部(ジャンムー=カシミールと呼ぶ)はインドが暫定的に統治することになります。
1965年には同じくカシミール地方で武力衝突が起きます(第2次印パ戦争)。カシミール問題は今も決着はついていません。なお、カシミールの一部であるアクサイチン地区は現在、混乱に乗じて中華人民共和国が実効支配しています。
インドは1974年に初めて核実験を行いました。これに対抗してパキスタンも核開発を進めます。1998年5月になって本格的な核実験をインドが実施すると、その直後にパキスタンも核実験を行います。
パキスタンの核開発を担った技術者にアブドゥル・カディール・カーン博士がいます。カーン博士はイラン、リビア、北朝鮮などに核兵器の製造技術を売ったのではないかといわれていますが、その全貌はいまだに明らかにされていません。
さて、インドが支配していたジャンムー=カシミールでは、次第にインドからの分離独立を目指す動きが生まれてきます。両国が核実験を成功させた直後の1999年にカシミール地方で武力衝突が起きます。短期間で終了したため「第4次印パ戦争」と名付けられることはありませんでしたが、このときパキスタンは核兵器を準備していたといわれ、緊張が高まった瞬間でした。
2019年にはパキスタンの過激派に属する青年がジャンムー=カシミールで自爆テロを行った報復として、インドがパキスタンに対して空爆を開始し(バーラーコート空爆)、インドとパキスタンの対立は両国の独立から80年近くが経とうとしているのに良好になる気配はまったく見られません。
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