インドでほぼ確でボラれる日本人「歩き方のクセ」 なぜ「騙しやすい奴」と思われてしまうのか
もちろん、日本社会でも外見が語るものは大きい。しかし、日本においては「他者を外見で簡単に判断してはいけない」という不文律のようなものが存在していて、じっくりと交わらなければ、他者の「人となり」は理解できないのだという感覚を、僕はいつの間にか身につけていた。
プライベート情報がダダ漏れのインド
ところがインドでは、自らの存在(所属や差異)を提示するための記号に溢れていた。例えば、経済的に豊かかどうかは体格や衣服、装飾で、どの宗教や集団(カースト)に属すのかは衣装やアクセサリー、肌の色や体毛(頭髪や髭)で、未婚/既婚の別は指輪やシンドゥール(既婚女性が頭髪の分け目に沿って塗る朱色の化粧品)、ビンディー(既婚かつ夫が存命中のヒンドゥー教徒の女性がつける額の印。近年は美しい装飾が施されたシールを貼ることが多い)や腕輪(チューリー、バングル)で、といった具合に。あからさまな表現だ。
その他、挨拶の仕方から選択する語彙に至るまで、(宗教、出身地域、社会階層がすぐにわかる)差異を表す記号が、言動のそこら中にちりばめられている世界だ。名前を聞くだけでも同様に性別、宗教、所属集団、出身地、社会階層がわかってしまう(だから名前を聞くのが癖になってるのか!)。もう、プライベートな情報がダダ漏れ。
そんななかで、(特に旅慣れない)日本人に割り当てられた記号が、まさに僕の格好や歩く姿に典型的に表れていたのだろう。1人でウロウロし(彼らにとって日本人と差異化の難しい韓国からの旅人は、集団行動が基本)、キョロキョロし、首からカメラをぶら下げていたら、もう完璧。
そう考えると、インドの社会は、「自/他の差異を明確にするスキルに長けた、異質性によって駆動する世界」といえそうだ。「俺とお前は、違う人間だよな」が前提。これだけ社会を分断する記号に溢れているんだから。
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