「クリスマスも正月も祝う」日本の不思議な価値観 神道、仏教、キリスト教と受け入れられた背景
稲作文化がある中国やインドでも同様の現象は発生していたのですが、日本の場合は特に顕著でした。日本は、山の多い地形で、川もほかの国に比べて多くの急流があります。
急流である分、灌漑の整備も大規模になりがちです。また、山が多いということは平地も少なく、農業に適した土地と、そうでない土地で差が出てしまいます。
そうすると、農業に適した土地を人々の間で奪い合う状況が発生するわけです。それが、日本の数々の騒乱につながった、と考えられます。そしてそんな日本において、宗教は必要不可欠なものだったと考えられます。
さて、そもそも昔から日本人の多くは、日本古来の考え方であり八百万の神を祀る「神道」と、ブッダを開祖として輪廻転生と解脱を説く宗教である「仏教」の2つを同時に信仰していました。
このような状況が発生したのは、6世紀のこと。大陸から伝えられた仏教の扱いをめぐり、当時の日本の有力者の意見は2つに分かれました。「仏教を広めるべきだ」という蘇我氏と、「広めるべきではない」という物部氏の対立です。
神道も仏教も日本の統治に必要だった
この対立こそ、いわゆる「崇仏論争」と呼ばれる争いです。最終的には蘇我氏が勝利し、先にも触れた通り、現在の仏教と神道が結び付いた日本の不思議な宗教観になったというわけです。
神道と仏教は、両方とも日本の統治に向いていました。神道は、天皇の威光を示すために必要でした。そして、人々が規律を守って生きるために、「不殺生(生き物を殺してはならない)」という仏教の考え方も必要だったのです。
このように、必要なもの同士が手を取り合うことで、現在の日本の独特の宗教観が形成されたと考えることができます。
少し時代が飛んで、戦国時代から江戸時代にかけて、今度はキリスト教が日本に到来しました。イエズス会のフランシスコ・ザビエルをはじめとして、宣教師たちによってキリスト教が広められたのです。
ところが、キリスト教の場合、仏教とは違って神道と融合することはありませんでした。神道だけでなく、キリスト教は仏教とも融合していません。
その理由は、いろいろと考えられますが、有力な説としては、「仏教と神道が共に多神教なのに対して、キリスト教は一神教だった」ということです。
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