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レーニンがキリスト教に敵愾心を持っていた理由 佐藤優の情報術、91年ソ連クーデター事件簿96

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従来の科学的無神論をソ連共産党のゴルバチョフ書記長が事実上放棄したため、ソ連共産党内にイデオロギー的空白が生じた。その空白をいかなるイデオロギーや宗教も埋めることができず、ソ連は自壊していくのである。

キリスト教と社会主義を結びつける企てに反発

レーニンは、キリスト教を社会主義建設に利用するという発想に対して忌避反応を示した。

レーニンは特にキリスト教と社会主義とを結びつける企てを嫌った。教会の改革派の精神は、かれの意見によれば《黒百人組》よりも有害であり、進歩的で革新されたキリスト教は古い腐敗したキリスト教よりも悪質である。

「少女を誘惑するローマン・カトリックの司祭は」とレーニンは書いている、「《法衣を着ない司祭》、宗教の卑俗さをもたぬ司祭、なにがしかの善を行なうことを説教する聡明で民主的な司祭よりも危険がはるかに少ない。なぜなら前者の司祭はその罪をあばき、かれを譴責して追放することができるが、後者はそうたやすく放逐することができず、かれの罪をあばくことは千倍も困難であるから。」

この《法衣を着ない司祭》というカテゴリーは反宗教プロパガンダには小さからぬ役割をつとめたが、これはきわめて含みの多いカテゴリーである。(ニコライ・ベルジャーエフ〈田中西二郎/新谷敬三郎訳〉『ベルジャーエフ著作集 第7巻 ロシア共産主義の歴史と意味』白水社、1960年、220ページ)

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