「クリスマスも正月も祝う」日本の不思議な価値観 神道、仏教、キリスト教と受け入れられた背景

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そもそも、宗教はどのようにして生まれ、どうして人々の間で信仰されるようになったのでしょうか? いちばんの要因として挙げられるのは、共同体を維持するうえで有効だからです。

人口が増えると、人々が仲良く暮らす必要性が自然と高まります。例えば、飢えで苦しんでいる人がいるとしましょう。そして、その人の前をちょうど通りかかったあなたの手には、パンがあります。あなたもお腹が空いているので、自分のパンを分け与えるかどうか少し悩みます。

そんなときに、神様を信じている人であれば、パンを分け与える選択を取りやすいでしょう。「もし死後の世界があったとして、『あのとき、どうしてあの人を助けなかったのだ?』と聞かれたらどうしよう」と思えば、自分のパンを分け与える選択をするわけです。

神様を信じていれば、人々は助け合うことができるようになる。だから宗教は、国を統治するために必要なものとして機能します。これが、全世界的に宗教が発生し、それが広まった理由なのではないかと言われています。

稲作文化の日本でも宗教は不可欠

日本においても、宗教は不可欠でした。日本は稲作文化なので、共同で農業をする必要があり、手と手を取り合って稲作を行わないと、全国民が飢えてしまうリスクがあったのです。

米は栄養価が高く、非常に優れた食糧です。一方で、戦乱の元になってしまうリスクが大きい食糧であるとも言えます。

また、川から水を引いて稲作をするためには、大規模な灌漑工事や関係者の利害調整のコミュニケーションが必須になります。

水源や水路を決めなければなりませんし、上流で水を取りすぎてしまうと下流でなかなか取れなくなってしまうので、場所ごとに引く水の量に対する取り決めを設けることも必要です。

水路の整備に付随する作業を滞りなく進めるには、全体の指揮を執るリーダーの存在が不可欠です。リーダーの指揮のもと、灌漑工事をしたり、水の配分を決めたりする必要が生まれたことが、身分の差をつくることにつながった1つの要因ではないかとされています。

そして、そうしたリーダーの誕生や身分の差は、不満や怒りの感情を生みやすいため、当然ながら戦乱をもたらすことになります。

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