誰が本当の夫?「清少納言の夫」のさまざまな説 夫の1人と言われている橘則光には物騒な話も
清少納言の夫にはさまざまな説がある
随筆『枕草子』の著者・清少納言の夫については、さまざまな説があります。
明治時代の後期には、ある学者が次のように唱えました。「納言が他人に嫁いだということは記録にはないが、女子(娘)がいる」「藤原行成や藤原斉信などが納言の才能を愛し、深い交流があった。しかし、納言には定まった夫はいなかった。納言は一生、誰の妻にもならなかったと思われる」と。
同時代には別の学者が、藤原棟世が清少納言の夫ではないかとの説も提示しました。棟世は、平安時代中期の貴族で、筑前守・山城守・摂津守などの国司(地方官)を歴任した人物です。
清原氏の系図には「皇后定子侍女。摂津守藤原棟世妻」とあります。文中の定子侍女が清少納言のことです。
一方、藤原実方が、清少納言の夫ではないかと唱える学者もいました。実方は、侍従・左近衛中将などを歴任しました。
『拾遺和歌集』(平安中期の3番目の勅撰集)以降の勅撰和歌集には67首が入集しており、歌人としても名を残しています(中古三十六歌仙の1人でもあります。ちなみに、その中には、紫式部や清少納言の名もあります)。
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