「DV夫から逃げた妻」がその後20年近く苦しんだ訳 命がけで逃げた母と息子の「現在」

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教育相談所に通ったり、近くの病院で親子ともにカウンセリングを受けたりしましたが、息子の心はすぐには回復しませんでした。

「あの子は命がけで私に訴えていたんですよね。玄関のドアノブをガムテープでぐるぐる巻きにして、鍵が入らないようにしていたこともある。『俺がこんなに怒っているのをわかれ!』って全身で訴えていた。でも、私にはそれがわからなかったんです」

もう限界――。そう思ったのは、息子が小6のときでした。ある日、「怖くてもう家に帰りたくない」と感じた薫さんは、以前身を寄せたシェルターの運営者である「親代わりみたいな人」に電話で相談し、児童相談所を訪れることに。

担当者に事情を話したところ、「いまは親子で一緒にいることは望ましくない、距離をとったほうがいい」と言われ、それから2カ月ほど関係者らと話し合い、考え抜いた結果、息子を一時保護所に預けることにしたそう。それは薫さんにとって、本当に、苦しい決断でした。

その後、息子は中学に入るのと同時に、児童養護施設へ。薫さんは、息子のために自分が変わらなければいけないと気付き、精神科に通院・入院し、躁うつ病や適応障害の本格的な治療を受けました。以来、息子が高校を卒業するまでの6年間、息子とはたまに会うだけで、離れ離れに暮らしたそう。

「その間、私はすごくいろんなことを学びました。自分を客観的に見ることができるようになった。今思えばまだまだですけれど、でも本当に、貴重な時間でした」

息子との関係を修復できたのは…

そして、2024年のいま。20代後半になった息子とは、親子というより友達のような関係だといいます。別々に暮らしていますが、顔はよく合わせており、取材の前日も「息子と夕飯を食べた」のだと、うれしそうに薫さんは話します。

「息子のことは世界で一番好き。いろんなことを話します。息子は『俺が親だったらこうする』なんて話もしてくる。たぶん私に対して、恨みみたいなものもすごくあると思うんですけれど。私のほうも『親だって初めて親をやるんだから、わからないこともある。私はあなたにちゃんとしてあげられなかったこともあるけど、私は私で必死でしたよ』って言ったりして。今は、そういうことも話せるようになりました」

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